[日販商品データベースより]
『思い出・夢・思想』(邦題『ユング自伝』)は、分析心理学の創始者であるカール・グスタフ・ユングが自身の人生と思想を回想した書として、長く読み継がれてきた世界的ロングセラーである。「自伝」の体裁をとってはいるものの、実際には、ユングの同僚であり長年の協力者でもあったアニエラ・ヤッフェが、ユングとの長年にわたる対話原稿を時系列に並べ、内容的な一貫性をもたせて編集を施したものである。読み物として魅力をもつだけでなく、複雑な彼の思想を内側から理解するための手がかりとして、世界的に高い評価を受けてきた。その一方で、出版過程において編集上、対話内容に対する一定の取捨選択は免れず、省略された内容も多々存在したため、研究史上、ユング像の形成に偏りを生んだ可能性が指摘されてきた。
これに対して本書は、ヤッフェ自身が前書の編集過程で削らざるをえなかった内容を、当時の対話ノートから改めて拾い出し再構成した、いわば前書の「補遺」あるいは「続編」とも位置づけられる、ユング最晩年の貴重な自伝的証言集である。
本書には、『思い出・夢・思想』出版当時、一般公開にとって相応しくないと判断されたトニー・ヴォルフとの個人的な関係や、宗教や神秘体験をめぐる率直な思索など、ユングの素顔が生き生きと残されており、それらが必要最低限の編集のもとで、必ずしも時系列に沿わず断片的に配置されている。そのため読者は、完成された思想家としてのユングではなく、語り、考え、迷いながら生きた一人の人間としてのユングの肉声を、より直接的に感じることができるだろう。
また、本書後半のエレナ・フィシュリによる歴史的解説は、ユング最晩年におけるヤッフェとの協働の実態と、本書成立に到るまでの複雑な経緯を明らかにしている。ヤッフェは、ナチス支配下での迫害や亡命経験、チューリッヒでの困難な生活、さらには本書の準備過程で生じたさまざまな批判や対立、彼女の献身的な努力や存在そのものを陰に押しやろうとする圧力など多くの試練に直面しながらも、内なる確信と忍耐、そして他者への深い思いやりに導かれて本書の編集作業を継続した。こうした背景を通して、フィシュリは、これまでしばしば過小評価されてきたヤッフェの役割と思想的貢献に新たな光を当てて再評価している。
ユングの没後、講義録などの学術資料は次々と刊行されているが、彼自身が自由な対話のなかで語った言葉をまとめた記録はきわめて稀である。
本書は、2009年に公開された 『赤の書 』と並び、ユング思想の内的動機を補完する一次資料として重要な意味をもつとともに、ユングという思想家の内面に触れながら、読者自身にも「自分の人生をいかに生きるのか」という問いかけを静かに差し向ける一冊となるだろう。
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