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[日販商品データベースより]
本書は「俳優論」である。演劇が俳優の芸術である限り、「俳優論」とは「演劇論」とほぼ同義であると考えられるかもしれないが、そう単純ではない。俳優の技術を理論的に言及するのであれば、また別の「演技論」として捉えることも可能である。しかし「俳優論」という枠組みは、そういった「演技論」や「上演分析」あるいは「芸談」といった捉え方とは厳密に区別されるべきものなのである。「俳優論」とは、「俳優を論じることの不可能性についての論述」である。それは、俳優存在についての文化的、歴史的、人類学的、存在論的考察ではあるが、それらが原理的に不可能であることをも示すものなのだ。歴史的、文化的に構築されてきて二分される「俳優像」において、欧米圏で支配的になっているものは、18世紀の市民主義演劇成立から現在に至るまでの「人間表象者」としての「俳優像」である。その俳優像の観念は、歴史上決して普遍的なものではなく、その像から浮かび上がる「俳優」という語の悪しき影響力によって、様々な「存在」、「実践」が排除されてきた歴史が存在するのである。同時代の様々な挑戦的試みに理論的枠組みを与えようする演劇学という営為は、その歴史に対し、併走してはいても、必ずしも一致していたわけでもないのである。1960年代の「パフォーマンス的転回」は、確かに「上演」すなわち「俳優と観客の身体的共在」という観点から演劇とその理論の可能性を拡大している 。しかし俳優論の文脈で言えば、「パフォーマンス・アート」の概念的土台は「真実味」や「信憑性」に置かれるのであって、その意味ではパフォーマーという存在は、ある俳優像のヴァリエーションに過ぎない。俳優演劇と演劇芸術という二つの演劇観、主体化と客体化という俳優の二つの側面に基づく二つの俳優像。この見立ては、西洋とは異なる歴史文化的文脈を持つ日本の演劇について考察する際、有効なものである。本書は、俳優論という枠組みによって日本の近現代演劇の俳優実践に対し、新たな歴史的、文化的、人類学的、存在論的文脈を見出すものである。