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教育評論社 印出忠夫
点
あらゆる生者と死者に捧げられる、おびただしい数のミサ。煉獄の思想の発展以降、救済のためのミサを望む人々によって、教会への財産の遺贈や基金の設立が盛んに行われた。これらは単なる信心行為だったのか。本書では「銀行」としての教会を視座に、キリスト教と財産・富の関係を再考する。罪を債務に、懲罰を支払いになぞらえる心性とは?
序章 「銀行」としての教会第1章 中世末期の社会第2章 中世人と死―彼岸と此岸第3章 救済の計画としての遺言書第4章 罪の償いとミサの設定第5章 教会への基金の設立―十四世紀アヴィニョンのシャペルニー終章 この世の究極の「所有権者」とは
あらゆる生者と死者に捧げられる、おびただしい数のミサ煉獄の思想の発展以降、救済のためのミサを望む人々によって、教会への財産の遺贈や基金の設立が盛んに行われた。これらは単なる信心行為だったのか。本書では、信徒たちから募った金銭や祈り、善行という「預金」を社会に適切に振り分ける「銀行」としての教会を視座に、中世ヨーロッパのキリスト教と財産・富の関係を再考する。〈序章より〉本書の第1章は、歴史上のひとつのテーマを議論するために必要な最初の導入部分に相当する。中世ヨーロッパ社会の一般的な説明から口火を切るが、最終的にはその「末期」といわれる時代(十四、十五世紀)の、とりわけ本書で注目するフランス南部における社会の特色について、独自の角度からではあるが、概容を示すのがねらいである。第2章、第3章はこの中世末期において特徴的な、人々の死をめぐる心性に注目する。「煉獄」というタームに象徴されるこの心性こそが、当時の信徒たちの富を媒介にした教会との関わりに決定的な影響を与えたと考えられるからである。第4章は、このような状況下において、祭壇への奉仕としての「ミサ」という祭式が人々にどのように理解され、求められ、また実践されたかについて検討する。第5章は、本書の核心部分として最もオリジナリティーを問う箇所となる。前章をうけて、ミサとくにいわゆる「永遠(無期限に定期的に行われる)のミサ」が中世社会において果たした役割についての考察を続けるが、しかしこの章で注目するのは、ミサを求めた信徒よりむしろ、行う側の教会の対応である。大きな社会的影響力を行使した西洋中世の教会は、「祭壇での奉仕」と「社会への奉仕」とを具体的にどう関連づけていたのか。その一例として、「永遠のミサ」の長期にわたる継続が、十四世紀のフランス南部プロヴァンス地方で実践されていた土地管理のシステムとのきわめて密接な結びつきによって可能とされていたケースを示してみたい。宗教の歴史をテーマとした書物が、土地の取引や管理の方式について議論すると言えばいささか風変わりな印象を与えると思うが、ここには、「二つの奉仕」の関係性は、当時の社会を動かすシステムのこれほど根幹にまで関わっていたのではないかという筆者の主張がこめられている。(中略)そして終章では、ここまでの成果を中世史のより長期の文脈に置きなおしつつ、中世末期の教会史の再評価の可能性を論じている。
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[BOOKデータベースより]
あらゆる生者と死者に捧げられる、おびただしい数のミサ。煉獄の思想の発展以降、救済のためのミサを望む人々によって、教会への財産の遺贈や基金の設立が盛んに行われた。これらは単なる信心行為だったのか。本書では「銀行」としての教会を視座に、キリスト教と財産・富の関係を再考する。罪を債務に、懲罰を支払いになぞらえる心性とは?
序章 「銀行」としての教会
[日販商品データベースより]第1章 中世末期の社会
第2章 中世人と死―彼岸と此岸
第3章 救済の計画としての遺言書
第4章 罪の償いとミサの設定
第5章 教会への基金の設立―十四世紀アヴィニョンのシャペルニー
終章 この世の究極の「所有権者」とは
あらゆる生者と死者に捧げられる、おびただしい数のミサ
煉獄の思想の発展以降、救済のためのミサを望む人々によって、教会への財産の遺贈や基金の設立が盛んに行われた。これらは単なる信心行為だったのか。本書では、信徒たちから募った金銭や祈り、善行という「預金」を社会に適切に振り分ける「銀行」としての教会を視座に、中世ヨーロッパのキリスト教と財産・富の関係を再考する。
〈序章より〉
本書の第1章は、歴史上のひとつのテーマを議論するために必要な最初の導入部分に相当する。中世ヨーロッパ社会の一般的な説明から口火を切るが、最終的にはその「末期」といわれる時代(十四、十五世紀)の、とりわけ本書で注目するフランス南部における社会の特色について、独自の角度からではあるが、概容を示すのがねらいである。第2章、第3章はこの中世末期において特徴的な、人々の死をめぐる心性に注目する。「煉獄」というタームに象徴されるこの心性こそが、当時の信徒たちの富を媒介にした教会との関わりに決定的な影響を与えたと考えられるからである。第4章は、このような状況下において、祭壇への奉仕としての「ミサ」という祭式が人々にどのように理解され、求められ、また実践されたかについて検討する。
第5章は、本書の核心部分として最もオリジナリティーを問う箇所となる。前章をうけて、ミサとくにいわゆる「永遠(無期限に定期的に行われる)のミサ」が中世社会において果たした役割についての考察を続けるが、しかしこの章で注目するのは、ミサを求めた信徒よりむしろ、行う側の教会の対応である。大きな社会的影響力を行使した西洋中世の教会は、「祭壇での奉仕」と「社会への奉仕」とを具体的にどう関連づけていたのか。その一例として、「永遠のミサ」の長期にわたる継続が、十四世紀のフランス南部プロヴァンス地方で実践されていた土地管理のシステムとのきわめて密接な結びつきによって可能とされていたケースを示してみたい。宗教の歴史をテーマとした書物が、土地の取引や管理の方式について議論すると言えばいささか風変わりな印象を与えると思うが、ここには、「二つの奉仕」の関係性は、当時の社会を動かすシステムのこれほど根幹にまで関わっていたのではないかという筆者の主張がこめられている。(中略)
そして終章では、ここまでの成果を中世史のより長期の文脈に置きなおしつつ、中世末期の教会史の再評価の可能性を論じている。