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[BOOKデータベースより]
ペリリュー・アンガウル戦80周年記念刊行。南洋の玉砕戦を自決せずに生還した元二等兵はこの地に移り住み、死の直前まで「戦友の御霊」を守り抜いた。元読売新聞写真記者が語る戦争を背負った男の鎮魂歌。
[日販商品データベースより]渾身の写真集
ペリリュー・アンガウル戦80周年記念刊行
南洋パラオの玉砕戦を辛くも生き延びた元二等兵は
晩年この地に移り住み、「戦友の御霊」を守り抜いた
元読売新聞写真記者が語る、戦争を背負った男の鎮魂歌
〓 本書「倉田洋二の南洋」より
少年時代から志を抱きはるばると渡った南洋の島を、多くの戦友が眠る南洋の島を、倉田は片時も忘れることはなかった。そして「戦友のそばに居たい、南洋に帰りたい」という思いを抑えきれず、ついに戦友の「墓守」としてパラオへの再移住を決断した。1996(平成8)年、69歳の時だった。
〓ペリリュー・アンガウル戦
1944(昭和19)年9月、日本統治時代の南洋パラオに米軍が侵攻し、日米決戦の舞台となった。米軍の圧倒的な武力を前に日本軍は終始劣勢を強いられ、山肌険しい陣地で持久戦を続けたが玉砕。ペリリュー島で1万人以上、アンガウル島で1,000人以上の日本兵が戦死し、生還者は両島併せて90人に満たなかった。アンガウル戦の生還者・倉田洋二は、ペリリュー戦の生還者・土田喜代一(1920-2018)と共に、この南洋の戦争を語り続けたが、土田は2018(平成30)年に、倉田もまた2019(令和1)年に逝去し、今この戦争の記憶を風化させないことが求められている。戦闘から80年を迎える2024年現在、両島の日本人戦没者の遺骨は6,980柱が今もなおパラオの地に埋もれ、故郷の墓に納骨されておらず、厚労省が日本戦没者遺骨収集推進協会に委託し、遺骨収集の現地調査が行われている。
〓戦争を背負った男、倉田洋二(1927-2019)
海洋生物が好きで南洋に憧れ、1941(昭和16)年、14歳の時に日本統治下のパラオへ移住。16歳で現地召集され、陸軍歩兵第59連隊(栃木県宇都宮より海外派兵)に配属。パラオ最南端アンガウル島の玉砕戦を辛くも生き延び、アメリカ本土の捕虜収容所で終戦を迎えた。戦後、東京都庁職員となりウミガメの放流ふ化事業を主導。小笠原水産センター、小笠原海洋センターの初代所長を歴任し、1978(昭和53)年退職。その後、JICAに派遣されて3年間、ミンドロワニの養殖を技術指導するためフィリピンに滞在した。1996(平成8)年、69歳にしてパラオに再び移住。アンガウル島で亡き戦友の追悼慰霊式をたったひとり催し、棄損される危機にあった「日本人戦没者慰霊公園」を生ある限り守り続けた。ウミガメ博士、海洋生物学者、小笠原諸島の自然を知り尽くした人物としても知られ、後年は環境活動家、水産学者、ダイビング愛好家らが「倉田詣で」に訪れた。編著に『小笠原 寫眞帳』『パラオ歴史探訪 倉田洋二と歩く南洋群島』『赤松俊子の描いた南洋群島』などがある。
A4変横長判(縦222×横260ミリ)、糸かがり上製本、120ページ
ブックデザイン 三村漢(niwanowa office)
プリンティング・ディレクション 蜿ク
印刷 東京印書館