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弥生中期の南関東地方に、大規模な低地農耕集落が突如出現した。この地域で本格的な水稲農耕が開始したのはなぜか。関東地方の水稲農耕受容と東アジアの交易ネットワークの実態を探り、列島弥生社会の変化を解明する。
序論 関東地方の水稲農耕と交易
第1部 関東地方における水稲農耕の受容と社会変化(石庖丁からみた東北アジア青銅器時代の農耕拡散;東北地方の弥生文化からみた中里遺跡;中里遺跡と南関東地方の農耕化;関東地方の水稲農耕導入後の集落展開 ほか)
第2部 周縁地域との交流と東アジア(関東地方弥生社会の形成と太平洋沿岸の海人;東海地方の集落変化と関東地方;土器の移動からみた近畿地方と中里遺跡;関東地方の弥生時代石器―金属器普及を左右した石器システム ほか)
総論 東アジアにおける関東地方の弥生社会
弥生時代中期の南関東地方に、中里遺跡をはじめとする大規模な低地農耕集落が忽然と姿を現した。その背景には、この地域で本格的な水稲農耕を受容する整った環境と、中国や朝鮮半島を含む技術・物資の流通網があった。最新の学際的研究によって、関東地方の水稲農耕と東アジアの交易ネットワークの実態を探り、列島の弥生社会の変化を解き明かす。