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[BOOKデータベースより]
「これって差別?怒られるかな?」「○○警察」を前に、自主規制ばかり。正義の名のもとに、過激化し暴走するポリティカル・コレクトネスで、社会にはむしろ「新しい不平等」ばかりが生まれている!?
1章 ポリコレは、全体主義への一里塚 「お母さん」とさえ呼べなくなる?―着々と進む、狂気の言葉狩り(女子競技に元男性のトランスジェンダー女性が初めて参加した衝撃;トランス女性の競技参加は、新しい「女性差別」でしかない ほか)
[日販商品データベースより]2章 日本のポリコレは、「反日・日本人」養成所―正義なきメディアが「内心の自由」に踏み込み、断罪する恐ろしさ(事実を歪めた「切り取り報道」から始まった「森辞めろ!」の大合唱;海外報道の「お墨つき」を得て、一斉攻撃開始 ほか)
3章 BLMの不都合な真実 蘇る「新左翼」―「平和な顔をした暴力革命運動」に騙されるな!(G・フロイドが「革命のための生贄」になった日;BLMの掛け声のもと、全米主要都市で暴動・略奪・放火事件に発展 ほか)
4章 LGBTを“弱者ビジネス”にしようとする人々 当事者たちに訊く―「新潮45」廃刊事件再考(LGBT―この15年で、その認知度はどう変わったのか;日本社会は、もともとゲイやレズビアンを差別してこなかった ほか)
5章 “事例研究”LGBTイデオロギーとどう向き合うか?―3つのケースから学ぶ、ポリコレ推進活動家への対処法(ケース1 一橋大学法科大学院生、アウティング転落仕事件;ケース2 女子大に男子が入学する日―お茶の水女子大学の“英断” ほか)
ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ=ポリコレ)という正義の名のもとに、新たな次元の支配システムが、アメリカを、そしてこの日本を蝕んでいる。
BLM、LGBTQ……「人種差別やジェンダーによる差別をなくし、多様性を認めよ」という掛け声のもと、「新しい正義」が謳われ、その正義の基準に沿わないものは、全メディア総出で、逃げ場なき集団リンチのごとく手酷く批判され、社会的に抹殺される。キャンセル・カルチャーや批判的人種理論が幅を利かせるアメリカ。尻尾を振ってそこを追いかけようとする日本のメディアが、日本を誤った道に連れて行こうとしている。
森喜朗元首相たたきもそうだった。仮に失言はあったにせよ、異様なのは、その後の「全メディア挙げての集団リンチ、吊るし上げ」であり、反論さえ許さぬモンスター的人格攻撃だ。「差別をするな。多様性を認めよ」と叫びながら、その実「自分にとって都合の悪い多様性は一切認めようとせず」「新たな差別を創造する」流れは、今後さらに増加し、極端化し、過激になっていくと思われる。それでいいのか? 防ぐ方法はないのか?
多様性とは、自らと違った立場の意見を尊重し、相互に認め合うことのはずなのに、逆に「不寛容」ばかりが増し、企業も学校も社会も息が詰まっていく。
ポリコレ先進国・アメリカの悲惨さを見よ。非キリスト教徒に配慮するという大義名分のもと、すでに「メリークリスマス」という言葉は奪われ、性差別への配慮として、「お父さん」「お母さん」も公式の場では使えなくなってしまった。カリフォルニアでは、LGBTQに配慮するため、結婚式の際、「夫」とも「妻」とも言えないのだ。狂気だ。
日本は1日も早く先行するアメリカの過ちに気づき、本当の自由と平等を取り戻す努力を始めなければいけない。「機会の平等」でなく、「結果における平等」を保証することは、「新たな不平等を創造」するだけ。そこには絶望しかない。
今や、日本の学校では「あだ名」をつける事さえ、一律に禁止されようとしている。
「言葉狩り」や「#MeToo」、「マスク警察」や「ワクチン警察」、「お母さん食堂」へのいちゃもんなどに代表される動きが、今後さらにエスカレートし、モンスター化し、一方的なレッテル貼りをすることで、人々のつながりが分断され、冤罪事件を生んだり、暴力や殺人など、新しい深刻な差別を生む日も遠くないのでは、と不安を感じている人も多いように感じられる。
忠実で丹念な取材力を基本に、多くのノンフィクション作品で高い評価を得てきた著者が、「ポリコレ」という新たな敵の正体を見出し、追い詰めていく。
現状のまま進めば、日本もジョージ・オーウェルの『1984年』のような全体主義管理社会というディストピアにどんどん近づいていく。
なんとかそれを阻止したいとの強い思いが本書を書かせた。