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九鬼周造の「偶然性」を、西洋哲学との関連性や位置づけも整理しながら、感性ではなく論理的帰結として確立した哲学に昇華させた近年随一の明晰な九鬼論。
第1部 九鬼哲学の来歴(九鬼哲学を考えるための準備作業;「哲学」とは何か)
第2部 存在論理学としての九鬼哲学(「存在論理学」への道;「存在論」と「様相論理」―ニコライ・ハルトマンの批判的受容;「存在論理学」とは何か;存在論と実存論的分析―ハイデガーからの影響)
第3部 偶然を生きる倫理を目指して(偶然性の形而上学と個体論;偶然と選択、あるいは運命について;偶然性の倫理とは何か)
九鬼周造と再び出会う書──。
宮野真生子の著作、『急に具合が悪くなる』の映画化を記念し、7年越しに増刷。
個体としての「私」が雑多な現実の中でどのように普遍・倫理と出会うのか。九鬼周造の「偶然性」を、西洋哲学との関連性や位置づけも整理しながら、感性ではなく論理的帰結として確立した哲学に昇華させた近年随一の明晰な九鬼論。
“本書が目指すのは、現実とは何かを問い、現実を生きる「この私」の倫理を求め続けた九鬼周造の思想を「哲学」として読み解くことである。ここで「哲学」に括弧をほどこしているのは、それが単に人間や世界の根源を徹底的に問おうとする態度という広い意味ではなく(それなら仏教も儒学も哲学である)、あくまでも西洋を起源とする一つの学問形態としての「哲学/philosophia」であることを強調するためだ。同時にそこには、九鬼や近代日本の知識人たちが「哲学」という学に込めた希望と問いかけも含まれている。九鬼周造の哲学を西洋哲学の流れの内に位置づけ、同時代の日本の哲学者との関係から論じることは、近代日本が哲学に託した希望と問いかけ、そして、その先に現れた危険性を考えることにつながっているはずである。歴史のなかへ哲学を差し戻しながら、哲学という学問を問うこと、それがいま私たちの求める哲学を問い直す足場にもなる。九鬼哲学を手がかりに、その一歩目を踏みだそう。”(「はじめに」より)






















