[BOOKデータベースより]
寛政10年(1798)に九州秋月藩の儒者の娘として生まれ、生涯独身で日本各地を遊歴の漢詩人として旅を続けた原采蘋。儒教倫理の規制の中で、「漢詩人として成功せよ」との父の遺命を背負い、62年間その遺命に背くことなく漢詩人としての業績を上げることに精進した。遊歴の日記を漢詩で綴ったが、残された詩には、自らの運命に対する恨み、悲しみが正直に書かれており、江戸時代後期に漢詩人として生きた女性の複雑な感情がにじみ出る。またそれは儒者の娘として一人の女性が学んだ知識の深さを改めて知ることが出来るものである。「男子は徳有れば便(すなわ)ちこれ才、女子才なければ、便ちこれ徳」と一般的に考えられた時代に、采蘋のような女性が生きることは決して楽ではなかったはずである。時代の過渡期を彼女はどう生きたのか。その生涯と詩に再び光を当て、これまで定着していた「男装の女性漢詩人」という勇ましい采蘋像を更新した労作。
序章 原采蘋研究の意図と視点
第1章 江戸詩風の変遷と地方詩壇の状況
第2章 原采蘋の少女時代
第3章 漢詩人としての修業時代
第4章 遊歴詩人としての出発
第5章 江戸での二十年間
第6章 房総遊歴
第7章 帰郷
終章
果たして彼女の内面では何を望み、何を後悔していたのだろうか。
時代の過渡期を生きた遊歴の女性漢詩人の、生涯と詩を再評価する。
寛政10年(1798)に九州秋月藩の儒者の娘として生まれ、生涯独身で日本各地を遊歴の漢詩人として旅を続けた原采蘋。儒教倫理の規制の中で、「漢詩人として成功せよ」との父の遺命を背負い、62年間その遺命に背くことなく漢詩人としての業績を上げることに精進した。
遊歴の日記を漢詩で綴ったが、残された詩には、自らの運命に対する恨み、悲しみが正直に書かれており、江戸時代後期に漢詩人として生きた女性の複雑な感情がにじみ出る。またそれは儒者の娘として一人の女性が学んだ知識の深さを改めて知ることが出来るものである。
「男子は徳有れば便(すなわ)ちこれ才、女子才なければ、便ちこれ徳」と一般的に考えられた時代に、采蘋のような女性が生きることは決して楽ではなかったはずである。時代の過渡期を彼女はどう生きたのか。その生涯と詩に再び光を当て、これまで定着していた「男装の女性漢詩人」という勇ましい采蘋像を更新した労作。
【サブタイトルを「孝と自我の狭間で」とした理由は、采蘋の生涯の中で「孝」と「自我」の問題は極めて重要な位置を占めると考えるからである。自立した漢詩人としての人生の選択は、采蘋の場合「孝」によるものであり、「自我」による選択ではなかったと私は考える。自立した女性漢詩人として時代を先駆けたとの評価を受けてはいるが、果たして彼女の内面では何を望み、何を後悔していたのだろうか。江戸時代の女性は表面的には自我を表に出さなかったが、内面での葛藤があったはずである。采蘋も詩や文章の中では本音を語っている。采蘋の「孝」と「自我」の問題はこれまであまり問題とされてこなかった。孝のために抑圧された采蘋の自我を詩集や日記の中から読み取り、これまで定着してきた「男装の女性漢詩人」という勇ましい采蘋像の後ろに見え隠れする女性らしい一面や、政治や経済に対する采蘋の経世家としての思想にも光を当てて考察して行きたい。】
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