- 露呈としての学校 表象としての学校
-
- 価格
- 1,650円(本体1,500円+税)
- 発行年月
- 2017年05月
- 判型
- A5
- ISBN
- 9784890261857
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[BOOKデータベースより]
少子社会の今日でさえも、学校(義務教育学校)は1,000万人を超える児童生徒を収容し、一斉授業を通して大量の知識を彼らに効率的に伝達する機械(装置)である。ところが、こうした近代学校の有する機械的性格は、スペクタクルな科学実験やファンタスティックな文学や感情を解放する芸術等々でマスキングされてきた。そのことは、「針金のお母さん人形」から「布のお母さん人形」への移行、もしくは、「露呈としての学校」から「表象としての学校」への移行として示される。また学校は、その中核的ハードウェアである“学級”と、ソフトウェアとしての「学級」との取り違えによって「良い教育」、果ては「“競争と抑圧”の教室を変える」ことが目指されてきた。いまや、近代学校をハードウェアから変革するためにはまず、学校が元来、「露呈としての学校」であることへ立ち返るべきではなかろうか。
序 学校の3つのレイヤーとスクリプト
1 知識伝達装置としての学校―学校機械
2 「教える学校」の中核としての学級―見える学校(ハードウェア)と見えない学校(ソフトウェア)
3 教育関係の「コミュニケーション‐メタ・コミュニケーション」
4 「教えの学校」のヒューマンウェア/「学びの学校」のヒューマンウェア
5 学校の時間的構造
結語 ハードウェアからの学校改革