- 映画の声
-
戦後日本映画と私たち
みすず書房
御園生涼子
- 価格
- 4,180円(本体3,800円+税)
- 発行年月
- 2016年10月
- 判型
- B6
- ISBN
- 9784622085515

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[BOOKデータベースより]
「もし死刑という制度に例外事態が起こってしまったとするならば、すなわち、死刑の執行が失敗し、その後も被告人が生き延びてしまったとしたら、一体何が起きるのか?こうした一見、抽象的な思考実験とも思える問いを通して、大島は「国家」という制度の核心へと近づいてゆく」。『日本の夜と霧』『絞死刑』『儀式』『二十四の瞳』『ひめゆりの塔』『浮雲』『森と湖のまつり』『仁義なき戦い』『セーラー服と機関銃』―大島渚や木下恵介からメロドラマ、実録やくざ映画、角川映画まで、日本映画は戦後民主主義と大衆消費社会の結節点にありながら、国家と共同体の外へ追われた“他者の生”を描いてきた。国民の物語と娯楽性の狭間にあって映画は、安保を、在日を、天皇を、戦争を、沖縄を、アイヌを、ふるさとを、恋愛を、少女を、いかに表象してきたのか。映像に固有の論理と緻密な分析によって、仮借なき暴力に彩られたそのさまざまな“声”を聴き取る、硬派で繊細な映画批評の誕生。
第1部 大島渚とその時代(時代を証言する―『日本の夜と霧』;法の宙吊り―『絞死刑』における国家と発話主体;呼びかける死者たちの声―『儀式』における国家と戦後民主主義のイメージ;オオシマナギサを追悼する―つねにいつもそこにいる運命的な「他者」に向って)
[日販商品データベースより]第2部 メロドラマの政治学(幼年期の呼び声―木下恵介『二十四の瞳』における音楽・母性・ナショナリズム;従軍する女性たち―『ひめゆりの塔』にみる戦争とジェンダー/植民地表象の政治学;コロニアル・メロドラマ試論―成瀬巳喜男『浮雲』にみる「植民地主義メロドラマ」の可能性;メロドラマ的回帰―『秋津温泉』にみるメロドラマ形式の可能性)
第3部 ジャンル映画のディスクール(馬鹿は死ななきゃ治らない―『次郎長三国志』における富士山の表象とその遊戯性;“ビヤッキー”と呼ばれた男―内田吐夢『森と湖のまつり』における高倉健のイメージ;召喚される暴力/記憶―『仁義なき戦い』における菅原文太と分有されるイメージ;少女・謎・マシンガン―“角川映画”の再評価)
日本映画は、国家と共同体の外へ追われた“他者の生”を描いてきた。映像に固有の論理と緻密な分析によって、仮借なき暴力に彩られた様々な「声」を聴き取る、硬派で繊細な映画批評。