[BOOKデータベースより]
連署極楽寺重時の出家に続き、病に倒れた執権北条時頼は出家を決意、嫡子時宗が成長するまでの「眼代」として、重時の子長時に執権職を譲る。回復した時頼は僧形での執政を開始する。それは、執権職と北条氏家督の分離を意味し、得宗専制政治への第一歩であった。やがて人々の期待を一身に受けた時宗が元服。鎌倉幕府は静かに転換点を迎える。
吾妻鏡 第四十三(建長五年(一二五三))
吾妻鏡 第四十四(建長六年(一二五四))
吾妻鏡 第四十六(康元元年(一二五六))
吾妻鏡 第四十七(正嘉元年(一二五七))
鎌倉時代の最も基本的な歴史書、その難解な原文を現代語訳した第14弾。病に倒れた執権北条時頼は出家し、重時の子長時に執権職を譲る。回復後時頼は執政を開始。やがて時宗が元服し幕府は転換点を迎える。〈受賞情報〉毎日出版文化賞企画(第70回)
この商品をご覧のお客様は、こんな商品もチェックしています。
病に倒れた執権北条時頼は出家し、重時の子長時に執権職を譲る。回復後時頼は執政を開始。やがて時宗が元服し幕府は転換点を迎える。