[BOOKデータベースより]
1945年8月6日、爆心地より1.8キロの地点で1台のアップライトピアノが被爆しました―。あの日から62年、ピアノは今も音を響かせている。広島原爆を書いた『ふたりのイーダ』にはじまり、長年にわたって戦争を見つめてきた作家、松谷みよ子が書き下ろした、平和への確かな願い。
[日販商品データベースより]1945年8月6日、爆心地より1.8キロの地点で1台のアップライトピアノが被爆しました――。
広島原爆を書いた『ふたりのイーダ』にはじまり、長年にわたって戦争を見つめてきた作家、松谷みよ子が書き下ろした、平和への確かな願い。
――あの日から62年、ピアノは今も音を響かせている。
ミサコの被爆ピアノ(ヤマハ製アップライトピアノ)
●製造番号……18209
●製造年……1932(昭和7)年
●高さ……約120cm
●重量……約220kg
●特徴……象牙鍵盤。良質な木材。85鍵(現在のピアノは88鍵)。手作り。
●被爆状況……爆心地より1.8km 広島市中区千田町の民家で被爆。
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この絵本の主役はピアノです。
広島の原爆を体験したピアノ。
爆心地から1.8kmという場所で被爆し、幸運にも壊れなかったピアノ。
そして持ち主はミサコさん(仮名)。
イギリス製のバイクを乗り回していたお父さんが、バイクを売り払って購入したピアノ。
家が一軒買えるほどの高価な特性のピアノだそうですから、とても裕福な家庭でした。
音楽を楽しむ家族でしたが、小学校4年のとき、戦争はミサコさんにも訪れました。
8月6日、あの日17歳のミサコさんは工場で働いていて助かった一人。
悲惨な広島の光景と終戦。
ガラスの破片が突き刺さりながら無事だったピアノ。
廃墟の広島で弾いたトセリのセレナーデは鎮魂であり、戦争が終わった安息でもあったのですが、人々から非難を浴び、石を投げ込まれたそうです。
それが終戦でした。
それから長い年月を経ても、ミサコさんのそばにあったピアノですが、ある調律師の力で再び音色を奏でる日が来ました。
そのピアノがあちらこちらの会場でコンサートを開くようになりました。
原爆を体験したピアノが奏でるのは平和への願いでしょうか。
CDにもなっているようです。
絵本の中からその音色が聞こえてくるようです。
木内達朗さんの絵が重厚で素晴らしいです。
絵の中のピアノに語らせていますし、人をほとんど登場させない絵でありながら、人々の姿を想像させられる描き方。
風景の一部を切り取った構図で、とてもスケールの大きさと深みを作っています。(ヒラP21さん 50代・千葉県 男の子14歳)
【情報提供・絵本ナビ】