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マキエマキ作品集
集英社インターナショナル 集英社 マキエマキ
点
自撮り熟女写真家の処女作「昭和のエロはファンタジー!」。私のエロは私が決める!
「私のエロは私が決める」いま、最も注目される「人妻熟女自撮り写真家」マキエマキのファースト作品集!美術史家・山下裕二氏、編集者・都築響一氏、詩人・伊藤比呂美氏も絶賛!〈作者について〉1966年大阪生まれ。1993年よりフリーランスの商業カメラマンとして雑誌、広告などでの活動を始める。2015年に「愛とエロス」をテーマにしたグループ展に出展したことがきっかけで、自撮り写真の魅力に目覚める。以後、夫の協力を得ながら、セーラー服に始まり、ホタテビキニから女体盛りまで様々なロケ地やシチュエーションを模索しながら、「人妻熟女自撮り写真家」として発表を続けている。<推薦の言葉>アカデミックな「エロス」に辟易してきた私は、ここで宣言しよう。「エロス」ではなく「エロ」が、しかも「昭和のエロ」が素晴らしいと。「エロ」に「ス」が付いたらろくなもんじゃない(美術史家・山下裕二)「持てるもの」としてのプロに対する、アマチュアや無名の作家という「持たざるもの」の反乱。男たちが妄想としてつくりあげてきたエロスへの、女の側からの反乱(編集者・都築響一)〈作者からのステートメント〉性の対象として見られることがずっと嫌だった。男性が、自分に性的な興味を持って接して来るたびに、辛い気持ちになった。写真撮影を生業としたのは、女性性を求められずに済む仕事だと思ったからだった。それなのに、必要以上の好意を示されたり、性的な関係を持ちたいと仄めかされたりすることが付いて回り、女に生まれてきたことが呪わしかった。20代後半から、49歳まで、美しく装うことや、女性らしい振る舞いを避け、自分の女性性を葬るように生きてきた。49歳になったとき、閉経の兆候が現れた。自身の女としての象徴だった現象がなくなると実感したとき、大きな喪失感を覚えた。あんなに忌み嫌っていた自分の「女」が消えていくことに、寂しさを感じたのだ。消えてしまう前に女の自分を残したい、少しでも長く女でいたい、そんな想いで自分にカメラを向け始めた。そのときに思い浮かんだのは、子供の頃、街なかに貼られていた、ピンク映画のポスターや、橋の下に落ちていたエロ本のイメージだった。振り返ると、昭和の「エロ」は、女性の人権を、あり得ないほど蹂躙しているものだった。それは、まさに男たちのファンタジー。女性から見ると、あまりにもバカバカしい、そのファンタジーを再現して笑うことが、かつて葬った自分の女性性への弔いになるような気がした。夢の国のお姫様のドレスを着るように、私は、マキエマキという着ぐるみを着て、ファンタジーの主人公を演じる。台本も、演出も、監督もすべて私。誰にも縛られず、私自身が作り出す、私のエロファンタジー。これを作り出すことが、今の私には生きる喜びになっている。
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[BOOKデータベースより]
自撮り熟女写真家の処女作「昭和のエロはファンタジー!」。私のエロは私が決める!
[日販商品データベースより]「私のエロは私が決める」
いま、最も注目される「人妻熟女自撮り写真家」マキエマキのファースト作品集!
美術史家・山下裕二氏、編集者・都築響一氏、詩人・伊藤比呂美氏も絶賛!
〈作者について〉
1966年大阪生まれ。
1993年よりフリーランスの商業カメラマンとして雑誌、広告などでの活動を始める。
2015年に「愛とエロス」をテーマにしたグループ展に出展したことがきっかけで、自撮り写真の魅力に目覚める。
以後、夫の協力を得ながら、セーラー服に始まり、ホタテビキニから女体盛りまで様々なロケ地やシチュエーションを模索しながら、
「人妻熟女自撮り写真家」として発表を続けている。
<推薦の言葉>
アカデミックな「エロス」に辟易してきた私は、ここで宣言しよう。「エロス」ではなく「エロ」が、しかも「昭和のエロ」が素晴らしいと。「エロ」に「ス」が付いたらろくなもんじゃない(美術史家・山下裕二)
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〈作者からのステートメント〉
性の対象として見られることがずっと嫌だった。男性が、自分に性的な興味を持って接して来るたびに、辛い気持ちになった。
写真撮影を生業としたのは、女性性を求められずに済む仕事だと思ったからだった。
それなのに、必要以上の好意を示されたり、性的な関係を持ちたいと仄めかされたりすることが付いて回り、女に生まれてきたことが呪わしかった。
20代後半から、49歳まで、美しく装うことや、女性らしい振る舞いを避け、自分の女性性を葬るように生きてきた。
49歳になったとき、閉経の兆候が現れた。自身の女としての象徴だった現象がなくなると実感したとき、大きな喪失感を覚えた。
あんなに忌み嫌っていた自分の「女」が消えていくことに、寂しさを感じたのだ。消えてしまう前に女の自分を残したい、少しでも長く女でいたい、そんな想いで自分にカメラを向け始めた。
そのときに思い浮かんだのは、子供の頃、街なかに貼られていた、ピンク映画のポスターや、橋の下に落ちていたエロ本のイメージだった。
振り返ると、昭和の「エロ」は、女性の人権を、あり得ないほど蹂躙しているものだった。それは、まさに男たちのファンタジー。
女性から見ると、あまりにもバカバカしい、そのファンタジーを再現して笑うことが、かつて葬った自分の女性性への弔いになるような気がした。
夢の国のお姫様のドレスを着るように、私は、マキエマキという着ぐるみを着て、ファンタジーの主人公を演じる。台本も、演出も、監督もすべて私。
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