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歴史の「闇」を捉え返す
青土社 紙屋牧子
点
マキノ正博が戦中に発表した「明朗」な作品群、長谷川一夫と古川ロッパの共演作、占領期に生まれた「パンパン映画」と「母もの映画」―。同時代の文脈のなかに差し戻すことで、その映画がもつ隠された政治性・歴史性を鋭く浮かび上がらせるスリリングな映画論。その明るさが覆い隠しているものとは何か。
第1部 隠された欲望(日清・日露戦争後の大衆文化におけるサディズム/マゾヒズムの表象―継子いじめ譚『五郎正宗孝子伝』(一九一五年)を起点に;戦時下のホモソーシャル―長谷川一夫と古川ロッパの、「男」の生きる道;占領下のホモソーシャル―長谷川一夫と古川ロッパの、「傷」だらけの男)第2部 「闇」の女たち(一九四八年の機械仕掛けの神―占領下の日本映画における「闇」の女たちの表象;「聖」なる女たち―「母もの映画」に刻まれた占領の影;占領期の田中絹代と小津安二郎―『風の中の牝〓』と『宗方姉妹』の描く「暴力」の意味を捉え返す;ポスト占領期における男性・女性の闘争―『やっさもっさ』(1953年)と「講和」)第3部 明朗という「闇」(出征兵士を送る妻の「涙」の表象をめぐって―『ハナ子さん』(一九四三年、マキノ正博)の多相性;なぜ「明朗」なのか―一九三九年の映画『鴛鴦歌合戦』と『春秋一刀流』の連続性/非連続性;エノケンの身体表象にみる相克―『孫悟空』(一九四〇年)における(反)全体主義)第4部 歴史の「闇」(冤罪事件へのシンパシー―マキノ雅弘監督『次郎長三国志 第九部 荒神山』(一九五四年)の異様さ;時代劇映画の一九六八年―『祇園祭』(山内鉄也監督)をめぐる論争と伊藤大輔のイデオロギー)
その明るさが覆い隠しているものとは何かマキノ正博が戦中に発表した「明朗」な作品群、長谷川一夫と古川ロッパの共演作、占領期に生まれた「パンパン映画」と「母もの映画」〓〓。同時代の文脈のなかに差し戻すことで、その映画がもつ隠された政治性・歴史性を鋭く浮かび上がらせるスリリングな映画論。
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[BOOKデータベースより]
マキノ正博が戦中に発表した「明朗」な作品群、長谷川一夫と古川ロッパの共演作、占領期に生まれた「パンパン映画」と「母もの映画」―。同時代の文脈のなかに差し戻すことで、その映画がもつ隠された政治性・歴史性を鋭く浮かび上がらせるスリリングな映画論。その明るさが覆い隠しているものとは何か。
第1部 隠された欲望(日清・日露戦争後の大衆文化におけるサディズム/マゾヒズムの表象―継子いじめ譚『五郎正宗孝子伝』(一九一五年)を起点に;戦時下のホモソーシャル―長谷川一夫と古川ロッパの、「男」の生きる道;占領下のホモソーシャル―長谷川一夫と古川ロッパの、「傷」だらけの男)
[日販商品データベースより]第2部 「闇」の女たち(一九四八年の機械仕掛けの神―占領下の日本映画における「闇」の女たちの表象;「聖」なる女たち―「母もの映画」に刻まれた占領の影;占領期の田中絹代と小津安二郎―『風の中の牝〓』と『宗方姉妹』の描く「暴力」の意味を捉え返す;ポスト占領期における男性・女性の闘争―『やっさもっさ』(1953年)と「講和」)
第3部 明朗という「闇」(出征兵士を送る妻の「涙」の表象をめぐって―『ハナ子さん』(一九四三年、マキノ正博)の多相性;なぜ「明朗」なのか―一九三九年の映画『鴛鴦歌合戦』と『春秋一刀流』の連続性/非連続性;エノケンの身体表象にみる相克―『孫悟空』(一九四〇年)における(反)全体主義)
第4部 歴史の「闇」(冤罪事件へのシンパシー―マキノ雅弘監督『次郎長三国志 第九部 荒神山』(一九五四年)の異様さ;時代劇映画の一九六八年―『祇園祭』(山内鉄也監督)をめぐる論争と伊藤大輔のイデオロギー)
その明るさが覆い隠しているものとは何か
マキノ正博が戦中に発表した「明朗」な作品群、長谷川一夫と古川ロッパの共演作、占領期に生まれた「パンパン映画」と「母もの映画」〓〓。同時代の文脈のなかに差し戻すことで、その映画がもつ隠された政治性・歴史性を鋭く浮かび上がらせるスリリングな映画論。