[BOOKデータベースより]
ラジオ・パーソナリティ生活40年。「GO!GO!キャンディーズ」から伝説の深夜放送「セイ!ヤング」。マッチや聖子の番組も流れていた「てるてるワイド」。昼間のラジオの常識をぶち破った「やる気MANMAN!」。熱狂的なリスナーを生んだ「ソコダイジナトコ」。ずっと毎日、ラジオのブースから発信続けてきた“ラジオマン”吉田照美の全人生。
第1章 1951〜1974少年・青年時代―対人恐怖症を治したくて、アナウンスの勉強をした。
第2章 1974〜1978新人アナウンサー時代―評価も散々、挫折続きのスタート。
第3章 1978〜1980『セイ!ヤング』の時代―憧れの深夜放送で、少しだけ前に進めた。
第4章 1980〜1987『てるてるワイド』の時代―ラジオの面白さにめざめ、自分のしゃべりにもめざめる。
第5章 1987〜2007『やる気MANMAN!』の時代―聴取率1位の喜びと、その後に見えた風景。
第6章 2007〜2013『ソコダイジナトコ』の時代―僕の中で、何かが変わった。
第7章 2013〜現在・未来―伝えたいことが、ある。
対談(小山薫堂×吉田照美;永六輔×吉田照美)
「セイ!ヤング」「てるてるワイド」「ソコダイジナトコ」…。ラジオ・パーソナリティ生活40年。毎日、ラジオのブースから発信し続けてきた“ラジオマン”吉田照美の全人生。永六輔、小山薫堂との対談も収録。


























あの3.11が吉田照美のラジオパーソナリティーとしての、すべてを変えた!2013年、吉田照美はラジオパーソナリテイー生活40年目へと突入した。40年間、あらゆる時代において聴取率No.1の座を獲得し続けてきた吉田照美であったが2011.03.11−−あの東日本題震災に端を発した原発事で大きな転機に直面する。原発事故の真実を伝えない政府、真実ほ追求しないテレビ、新聞。吉田照美は憤り、そして考えた。「ラジオにしかできない報道はなにか?」ということを。そして2011.04.08−−吉田照美は進退を賭けて、ある反