この商品をご覧のお客様は、こんな商品もチェックしています。
- メディアとしての身体
-
価格:3,850円(本体3,500円+税)
【2022年08月発売】
- 哲学の道具箱 原著第3版
-
価格:4,400円(本体4,000円+税)
【2025年07月発売】
- メダカが消える日
-
価格:1,760円(本体1,600円+税)
【2000年04月発売】
- 「水素社会」はなぜ問題か
-
価格:682円(本体620円+税)
【2015年08月発売】

























[日販商品データベースより]
「視覚は世界に触れる」
知覚はなぜ、著名な哲学者たちによって繰り返し考察されてきたのか。それは、知覚が哲学のもっとも根本的な問い――私たちはそもそも世界を知ることができるのか――と直結しているからである。眼に見え、耳に聞こえ、手で触れるものが、世界についての私たちの信念の出発点だ。だとすれば、知覚そのものが信頼できるかどうかは、世界についての知識全体の足場にかかわる問いとなる。デカルト以来の近代哲学、そして分析哲学の主流においても、知覚は世界の間接的な表象として捉えられてきた。私たちが直接知覚するのは世界そのものではなく、心の中に生じた像や表象にすぎない、と。『視覚哲学の冒険――意識・脳・世界はいかにつながるか――』は、そうした見方をきっぱりと退ける。本書の核心にあるのは、直接実在論の徹底した擁護である。私たちの意識は志向性という構造によって、表象を介さず世界そのものに直接開かれている。サールの議論は分析哲学の語法を保ちながらも、現象学、とりわけメルロ=ポンティの知覚論と響き合う。超越論的な問いには踏み込まず、知覚経験の内側からその構造を記述しようとする姿勢に貫かれているからである。この姿勢は、大陸哲学の読者にも馴じみやすい肉感をあたえてくれる。認知科学や人工知能が表象主義を自明の前提とする時代に、サールはあえて異なる道を行く。その知的勇気と志向性研究の集大成としての厚みが、本書最大の売りである。
[原著]Seeing Things as They Are: A Theory of Perception, Oxford Unversity Press, 2015