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[日販商品データベースより]
徳川時代の村役人については高校の日本史教科書などでも取り上げられ、その存在をご存じの読者も多いことでしょう。しかし、教科書などでは村役人について簡単に触れられている程度で、彼らがどのような仕事をしていたのかまでは詳細に知ることができません。
例えば、定評のある高校の教科書『詳説日本史』(山川出版社)の中で、村役人について述べられた部分を引用してみましょう。
村は、名主(庄屋・肝煎)や組頭・百姓代からなる村役人(村方三役)を中心とする本百姓によって運営され、農業労働、入会地の利用、水路・溜池などの用水や山野の管理、道の整備、治安や防災などの仕事を共同で自治的に担った。ー中略
幕府や諸大名・旗本などは、このような村の自治に依存して、はじめて年貢・諸役を割り当てて収納し、また村民を掌握することができた。
村役人について述べられているのは、この部分だけです。ー中略 徳川社会が村を基盤とした兵農分離の社会であり、村の運営は村役人らによって支えられる傾向が非常に強かったことからすれば、彼らの果たした役割に関する記述の少なさに物足りなさを感じずにはいられません。翻っていえば、従来、徳川時代を理解する上で、それほど村役人の存在が重視されてこなかったことの反映ともいえるでしょう。
私は拙著『徳川社会の底力』(柏書房)の中で、徳川社会を構成している最大の要素は村であったことを強調しました。徳川社会の構成員の大部分は士農工商のいずれかの身分に属していましたが、大半が百姓で、全人口の八割前後を占めていました。支配者である武士は一割以下しか占めておらず、残る一割程度を職人・商人(町人)や、えた・非人など、ほかの身分が占めていました。こうした人口比に対応し、人々の居住空間の大部分は、百姓が居住する村によって占められていたのです。全国の村の数は、元禄一〇年(一六九七)時点で六万三二七六(天保五年〈一八三四〉時点では六万三五六二)でした。厖大な数の村々が徳川社会を形づくっていたのです。ー中略
世間一般にはあまり知られていないでしょうが、本書では、名主と併せて、大庄屋・惣代・取締役などの村役人の仕事についても十分取り上げ、徳川時代が二六〇年余もの間、平和で安定していたことの秘密を解き明かしたいと思います。
本書では、五つの領地の村役人を例にとって具体的に見ていきます。村役人の仕事には共通項が多いものの、地方によって異なるところがあります。そこで本書では、徳川幕府が関東と関西を二大拠点としていたことに鑑みて、両地方を中心とした村役人の仕事を見ようというわけです。また、もう一つ気をつけなければならないのは、領地によっても村役人の機能や性格に異なるところがあったということです。したがって、両地方の中でも異なった領地の村役人を取り上げ、その仕事を見ることにします。そうして、最後に徳川時代の村役人とはどのような存在であり、その具体的な仕事から見て、徳川時代の政治と社会運営はどのような特徴を持っていたのかを総括したいと思います。ー序章より抜粋