[日販商品データベースより]
果たして、人々の声はどこへ行ったのだろうか。
天皇皇后、エリート官僚、田舎客、赤門天狗、鴎外、白樺派……「沈黙」と「語らい」は歴史のなかでもせめぎ合う。
芸術と出会う場所、美術館。
「お静かに!」が生まれる空間で、
鑑賞と批評の歴史を〈声〉や〈語らい〉から考える。
書かれることばと比べるとき、声を伴って話されることばは、いかにも不安定で、はかなく、頼りない。近代的な鑑賞と批評はそれぞれ、声と語らいを外側へと追いやることで、自らの輪郭を定めていったのではないか。
江戸から明治へと移り行く時期の「見世物」と「書画会・書画展会」の様子から、人々のあいだに線を引く近代的な博覧会、明治の演説文化に対する批評、雑誌『白樺』とその同人たちが求めた美術館の理想など、今日の鑑賞と批評の空間を再考する歴史的な事柄を取り上げ考える。明治期以降に次第に整えられていく鑑賞空間、批評空間はどのようなものだったのか。それは現在とどうつながっているのだろうか。
録音・録画が一般的になる以前の声や語らいを歴史的に問い直すことは簡単ではないが、歴史のなかのいくつかのポイントに的を絞り、エピソードを拾い集めるように解きほぐしていく。
〈沈黙〉と〈静けさ〉と、〈声〉と〈語らい〉。どちらが、より好ましいのか。あるいは、どちらがより「正しい」のか…ときに問われる現代のミュージアム。
いま、私たちの空間と声のあり方を見つめるために。
美術館だけではなく、図書館、劇場、コンサートホールなど、公共性のはざまで揺れながら考える人に。ぜひお読みいただきたい本です。「お静かに!」と言わざるを得ない環境に関わるすべての方に。
【「鑑賞の歴史」と「批評の歴史」という二つの課題は、声や語らいを介して密接に関連している。あるいは、踵を接している、と言ってもよい。というのも、近代的な鑑賞と批評はそれぞれ、声と、声を伴う口頭での語らいとを外側へと追いやることで、自らの輪郭を定めていったと考えられるからである。一方において声や語らいは、鑑賞の際の態度やふるまいには不要なものとみなされ、禁止されたり、監視されたり、囲い込まれたりしてきた。と同時に、他方で声や語らいは、美術作品を論じる批評の手段としても、二義的なものとみなされ、さほど重視されないようになっていった、と言ってよいだろう。】…………「はじめに」より
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