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戦後マスメディアの創造と知
人文書院 松山秀明
点
本格的なテレビ研究の誕生。私たちはテレビの歴史をまだ知らない。一九五〇年代〜六〇年代、放送草創期のテレビは無限の可能性に満ちた映像表現の実験場だった。演出家や知識人などさまざまな人材が、テレビはどうあるべきかをめぐり激論を交わした知的アリーナだった。その可能性は、いまだ燃え尽きてはいない。本書では、番組、産業、制度、放送学などあらゆる側面から、初期テレビが生んだ創造と知を、膨大な資料をもとに検証する。気鋭のメディア研究者が挑んだ意欲的大作。
序論 かつてテレビは芸術だった第1部 初期テレビの実験場(初期ドラマの創造―“お茶の間”の芸術;初期ドキュメンタリーの思想―“テレメンタリー”の発見;初期バラエティの創作―“視覚と音楽と笑い”の空間)第2部 テレビという情報産業(テレビ立国へ―民放テレビ誕生;文化的怪獣の波紋―日常のマスメディアとして;壁のない教室―教養のマスメディアとして)第3部 テレビをめぐる新たなメディア論(テレビという新芸術―“テレビ的”とは何かをめぐって;学問としてのテレビジョン―「放送学」の誕生;知識人たちが創るテレビ論―未来学、そして人類論へ)
本格的なテレビ研究の誕生私たちはテレビの歴史をまだ知らない1950〜60年代、放送草創期のテレビは無限の可能性に満ちた映像表現の実験場だった。演出家や知識人などさまざまな人材が、テレビはどうあるべきかをめぐり激論を交わした知的アリーナであった。その可能性は、いまだ燃え尽きてはいない。本書では、番組、産業、制度、放送学などあらゆる側面から、初期テレビが生んだ創造と知を、膨大な資料をもとに検証する。気鋭のメディア研究者が挑んだ意欲的大作。「本書では、一九五〇年代から六〇年代前半にさかのぼり、「初期テレビ史」を再考する。日本で初めてテレビ局が誕生した一九五三年から、東京オリンピックが開催される一九六四年前までの、およそ「一〇年間」を対象とする。これはテレビの普及率が加速していく一〇年であり、テレビが誕生して、必死に新しいマスメディアとして確立していこうとした期間でもある。現在のインターネットや動画配信の行く末を考えるためにも、まずは初期テレビの歴史をきちんと読みとく必要があるだろう。メディアの歴史は一定の反復性があるがゆえに、テレビ史からみえるインターネットや動画配信の未来もあるはずだ。テレビ離れとマスコミ批判の時代だからこそ、テレビの歴史を記述しなければならないのである。」(本書より)◎目次序論 かつてテレビは芸術だった 第T部 初期テレビの実験場第1章 初期ドラマの創造――〈お茶の間〉の芸術第2章 初期ドキュメンタリーの思想――〈テレメンタリー〉の発見第3章 初期バラエティの創作――〈視覚と音楽と笑い〉の空間 コラム1 初期ニュースの葛藤第U部 テレビという情報産業第4章 テレビ立国へ――民放テレビ誕生第5章 文化的怪獣の波紋――日常のマスメディアとして第6章 壁のない教室――教養のマスメディアとしてコラム2 広告と初期テレビ 第V部 テレビをめぐる新たなメディア論第7章 テレビという新芸術――〈テレビ的〉とは何かをめぐって第8章 学問としてのテレビジョン――「放送学」の誕生第9章 知識人たちが創るテレビ論――未来学、そして人類論へコラム3 マクルーハン旋風とテレビおわりに――あとがきにかえて年表 一九五〇年代〜六〇年代前半のテレビ
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1位
又吉直樹
価格:1,320円(本体1,200円+税)
【2015年03月発売】
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[BOOKデータベースより]
本格的なテレビ研究の誕生。私たちはテレビの歴史をまだ知らない。一九五〇年代〜六〇年代、放送草創期のテレビは無限の可能性に満ちた映像表現の実験場だった。演出家や知識人などさまざまな人材が、テレビはどうあるべきかをめぐり激論を交わした知的アリーナだった。その可能性は、いまだ燃え尽きてはいない。本書では、番組、産業、制度、放送学などあらゆる側面から、初期テレビが生んだ創造と知を、膨大な資料をもとに検証する。気鋭のメディア研究者が挑んだ意欲的大作。
序論 かつてテレビは芸術だった
[日販商品データベースより]第1部 初期テレビの実験場(初期ドラマの創造―“お茶の間”の芸術;初期ドキュメンタリーの思想―“テレメンタリー”の発見;初期バラエティの創作―“視覚と音楽と笑い”の空間)
第2部 テレビという情報産業(テレビ立国へ―民放テレビ誕生;文化的怪獣の波紋―日常のマスメディアとして;壁のない教室―教養のマスメディアとして)
第3部 テレビをめぐる新たなメディア論(テレビという新芸術―“テレビ的”とは何かをめぐって;学問としてのテレビジョン―「放送学」の誕生;知識人たちが創るテレビ論―未来学、そして人類論へ)
本格的なテレビ研究の誕生
私たちはテレビの歴史をまだ知らない
1950〜60年代、放送草創期のテレビは無限の可能性に満ちた映像表現の実験場だった。演出家や知識人などさまざまな人材が、テレビはどうあるべきかをめぐり激論を交わした知的アリーナであった。その可能性は、いまだ燃え尽きてはいない。本書では、番組、産業、制度、放送学などあらゆる側面から、初期テレビが生んだ創造と知を、膨大な資料をもとに検証する。気鋭のメディア研究者が挑んだ意欲的大作。
「本書では、一九五〇年代から六〇年代前半にさかのぼり、「初期テレビ史」を再考する。日本で初めてテレビ局が誕生した一九五三年から、東京オリンピックが開催される一九六四年前までの、およそ「一〇年間」を対象とする。これはテレビの普及率が加速していく一〇年であり、テレビが誕生して、必死に新しいマスメディアとして確立していこうとした期間でもある。現在のインターネットや動画配信の行く末を考えるためにも、まずは初期テレビの歴史をきちんと読みとく必要があるだろう。メディアの歴史は一定の反復性があるがゆえに、テレビ史からみえるインターネットや動画配信の未来もあるはずだ。テレビ離れとマスコミ批判の時代だからこそ、テレビの歴史を記述しなければならないのである。」(本書より)
◎目次
序論 かつてテレビは芸術だった
第T部 初期テレビの実験場
第1章 初期ドラマの創造――〈お茶の間〉の芸術
第2章 初期ドキュメンタリーの思想――〈テレメンタリー〉の発見
第3章 初期バラエティの創作――〈視覚と音楽と笑い〉の空間
コラム1 初期ニュースの葛藤
第U部 テレビという情報産業
第4章 テレビ立国へ――民放テレビ誕生
第5章 文化的怪獣の波紋――日常のマスメディアとして
第6章 壁のない教室――教養のマスメディアとして
コラム2 広告と初期テレビ
第V部 テレビをめぐる新たなメディア論
第7章 テレビという新芸術――〈テレビ的〉とは何かをめぐって
第8章 学問としてのテレビジョン――「放送学」の誕生
第9章 知識人たちが創るテレビ論――未来学、そして人類論へ
コラム3 マクルーハン旋風とテレビ
おわりに――あとがきにかえて
年表 一九五〇年代〜六〇年代前半のテレビ