- 渋柿の木の下で
-
孤高の俳人松根東洋城の生涯
- 価格
- 1,760円(本体1,600円+税)
- 発行年月
- 2021年08月
- 判型
- A5
- ISBN
- 9784906885428
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孤高の俳人松根東洋城の生涯
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[BOOKデータベースより]
妻を持たず、家も持たず、孤高の俳諧人生を全うした東洋城の生涯。その厳しさから多くの門弟が離れていった反面、一部の人たちからは殿様気質が愛された。高い身分の家に生まれ、皇族の間近で仕事をしながらも、夢中になって作り続けた俳句とは如何なるものか?答えて曰く「渋柿の如きものにては候へど」
少年期(各地での経験が育んだ豊かな感性)(祖父は大名で、江戸育ちの芝居好き;明治維新後の藩主と家来たち ほか)
[日販商品データベースより]青年期(俳句に染まり、文学者たちと交流)(子規庵に通い続け、俳句漬けの生活に;子規亡きあとの虚子と碧梧桐の苦闘 ほか)
壮年期(罹災、離反…激動の時代)(東洋城と豊隆と寅彦;連句にはまった寅彦、小宮を“破門” ほか)
老年期(人生の終焉と、亡き後)(山男の東洋城、山籠もりから脱出する;伊予の山里で「一畳庵」を結ぶ ほか)
松根東洋城(豊次郎)は、母方の祖父が宇和島藩主、父方の祖父がその城代家老である。親戚たちは明治になると家老に列し、皇室ともつながりを持った。豊次郎も判事になった父と共に東京・栃木・松山・大洲などへ赴き、松山中学から一高、東大へと当時のエリートの道を歩んだ。
その中学時代、東京から来た教師・夏目金之助(漱石)と出会い、俳句の指導を受けたのが、この道に進むきっかけとなった。漱石が英国留学から帰国し、小説を書き始めるようになってからは漱石宅へ入り浸り、ここに集まる個性的な文学者と交流し、さまざまなエピソードが生まれた。
宮内省に職を得た東洋城は、風呂屋の離れや築地の路地奥に住みながら式部官や書記官を務めていたが、後に、いとこにあたる柳原白蓮(Y子)との恋愛が問題となって辞職し、俳句一本で身を立てるようになった。
「渋柿」の主宰となった東洋城は、発掘した新人を厳しく指導し、なかにはあまりの峻厳さに耐えかねて去っていく者も少なくなかった。師・漱石の死、関東大震災での被災、弟子たちの離反、戦争と、次々に苦難が続くが、東洋城は運命を受け入れ、俳人らしいつましい生活の中で、気高く生きていく。郷土の弟子たちは、そんな東洋城の殿様気質を愛し、老いてからは弟子たちが生活面の面倒を見た。本書は東洋城の評伝であると同時に、東洋城を支え続けた人々の物語でもある。