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極寒の地に一身を捧げた老医
藤原書店 合田一道
点
佐倉順天堂に学んで医師として頭角を現し、徳島藩典医に抜擢されるも、惜しげもなくその地位を去り、一介の町医者として市井の人びとに尽くす。さらに晩年には、平等社会の実現を志して、北海道・陸別の極寒の原野の開拓に身を投じた無私の人、関寛斎(1830‐1912)。徳冨蘆花、司馬遼太郎らも注目したその波瀾の生涯と不屈の信念を、多くの史資料および現地探訪に基づいて描いた決定版評伝。
第1章 母の死、関家の養子に―1830‐47第2章 佐倉順天堂で蘭医学を学ぶ―1848‐60第3章 長崎留学で洋医学を学ぶ―1860‐62第4章 徳島藩の御典医に―1862‐68第5章 戊辰戦争、戦雲の軍医―1868第6章 典医を辞し徳島で開業―1868‐79第7章 北海道に新天地を求めて―1879‐1902第8章 理想と現実の狭間で―1902‐05第9章 平等均一の思想―1905‐12第10章 寛斎が残したもの―1912‐
「医は仁術なり」を体現した男――生誕190年記念下総の農民の子に生まれながら、佐倉順天堂に学んで医師として頭角を現し、阿波徳島藩の典医、海軍軍医に抜擢。しかし、惜しげもなくその地位を去り、ひとりの町医者として庶民や困窮した人びとへの医療に尽くす。さらに、「平等な社会」の実現を求め、不屈の精神によって北海道・陸別の極寒の原野の開拓に身を投じ、今もその地に名を残す無私の人、関寛斎(1830-1912)。徳冨蘆花『みみずのたはこと』、司馬遼太郎『胡蝶の夢』でも取り上げられた関寛斎の波乱の生涯と、その生涯を貫いた信念を、多くの史資料および現地探訪に基づいて描いた決定版評伝。 ◎写真多数
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1位
又吉直樹
価格:1,320円(本体1,200円+税)
【2015年03月発売】
一覧を見る
[BOOKデータベースより]
佐倉順天堂に学んで医師として頭角を現し、徳島藩典医に抜擢されるも、惜しげもなくその地位を去り、一介の町医者として市井の人びとに尽くす。さらに晩年には、平等社会の実現を志して、北海道・陸別の極寒の原野の開拓に身を投じた無私の人、関寛斎(1830‐1912)。徳冨蘆花、司馬遼太郎らも注目したその波瀾の生涯と不屈の信念を、多くの史資料および現地探訪に基づいて描いた決定版評伝。
第1章 母の死、関家の養子に―1830‐47
[日販商品データベースより]第2章 佐倉順天堂で蘭医学を学ぶ―1848‐60
第3章 長崎留学で洋医学を学ぶ―1860‐62
第4章 徳島藩の御典医に―1862‐68
第5章 戊辰戦争、戦雲の軍医―1868
第6章 典医を辞し徳島で開業―1868‐79
第7章 北海道に新天地を求めて―1879‐1902
第8章 理想と現実の狭間で―1902‐05
第9章 平等均一の思想―1905‐12
第10章 寛斎が残したもの―1912‐
「医は仁術なり」を体現した男――生誕190年記念
下総の農民の子に生まれながら、佐倉順天堂に学んで医師として頭角を現し、阿波徳島藩の典医、海軍軍医に抜擢。しかし、惜しげもなくその地位を去り、ひとりの町医者として庶民や困窮した人びとへの医療に尽くす。さらに、「平等な社会」の実現を求め、不屈の精神によって北海道・陸別の極寒の原野の開拓に身を投じ、今もその地に名を残す無私の人、関寛斎(1830-1912)。
徳冨蘆花『みみずのたはこと』、司馬遼太郎『胡蝶の夢』でも取り上げられた関寛斎の波乱の生涯と、その生涯を貫いた信念を、多くの史資料および現地探訪に基づいて描いた決定版評伝。 ◎写真多数