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レオナルド・ダ・ヴィンチからミケランジェロへ イタリア美術叢書 盛期ルネサンス 2
ありな書房 足達薫 遠山公一 喜多村明里 足達薫 出佳奈子
点
プロローグ 光彩の時代―盛期ルネサンスのイタリア美術再考第1章 レオナルド・ダ・ヴィンチ“最後の晩餐”―誰が見たのか第2章 ラファエッロ・サンツィオの“聖母子”像―個人礼拝用板絵の“聖母子”と“書物”をめぐって第3章 女子修道院のなかのルネサンス―サン・パオロ修道院と古代神学的思考第4章 眠れるアリアドネ、あるいは嘆称にたる美―ティツィアーノ“アンドロス島の人々”における裸婦図をめぐって第5章 「多様かつ新奇な方式で」―サン・ロレンツォ聖堂新聖具室における建築家ミケランジェロ第6章 文化的アルド・マヌーツィオと『ポリーフィロの愛の戦いの夢』の謎エピローグ アルストピアの第二フェーズ―盛期ルネサンスの「時代の眼」
本書での分析がもたらす美的発見は、一五世紀末から一六世紀にかけてのイタリアで、文化的創造の過程においてひとつの変容が起きていたと考えられることである。レオナルド、ラファエッロ、コレッジョやアラルディ、ティツィアーノ、ミケランジェロ、そしてアルド・マヌーツィオと著述家たちは、いずれも、求められた課題──作品の規模、技法と素材、フォーマット、必要な機能、受容者の文化経験および知的背景、等々──に対して、先例や古代からの伝統の力を借りつつ、それぞれおびただしい新機軸と新創意を注ぎこんでいた。それらの過程では、しばしば美術家が、もはや注文者やパトロンのための奉仕者の立場にとどまらない能動的な存在として立ち現われている。「時代の眼」の提唱者であるバクサンドールによれば、一五世紀イタリアでは、概して美術家の立場はパトロンや注文者よりも弱く、かなり窮屈な環境で制作せざるをえなかったと想像されるが、本書で浮彫りにされる美術家たちは、しばしば、注文者やパトロンよりも一歩先、あるいは一段上の場所から作品の機能と意味をとらえて創造していた。食堂でのイメージの機能を刷新したレオナルド、円形フォーマットの魔術的力を操作したラファエッロ、酒神バッコスのイメージと観者のあいだに意味と身体の反映現象をつくりだしたティツィアーノたち、建築そのものを文化的議論の文脈におけるマニフェストに変えたミケランジェロは、いずれもすでにアーティスト(artist)と呼ばれる能動的創造者に変身しているように感じられる。本書で描かれた美術家たちの事例は、一五世紀イタリアにおける「時代の眼」のさらに先に第二のフェーズが現われたことを告げている。本書で再構成された多様な「時代の眼」は、ルネサンスという概念そのものの正当性や適用をめぐる議論に対して具体的な事例の光をあてるとともに、前近代における多様な文化的因子とその記憶を現代において再び想い起こすためのリソースになる。美術史学者ジョン・シアマンの、そして小説家フォースターの、助言を想い起こしながら、過去と現在を「」という言葉を本書のモットーとして最後に掲げよう。
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1位
又吉直樹
価格:1,320円(本体1,200円+税)
【2015年03月発売】
一覧を見る
[BOOKデータベースより]
プロローグ 光彩の時代―盛期ルネサンスのイタリア美術再考
[日販商品データベースより]第1章 レオナルド・ダ・ヴィンチ“最後の晩餐”―誰が見たのか
第2章 ラファエッロ・サンツィオの“聖母子”像―個人礼拝用板絵の“聖母子”と“書物”をめぐって
第3章 女子修道院のなかのルネサンス―サン・パオロ修道院と古代神学的思考
第4章 眠れるアリアドネ、あるいは嘆称にたる美―ティツィアーノ“アンドロス島の人々”における裸婦図をめぐって
第5章 「多様かつ新奇な方式で」―サン・ロレンツォ聖堂新聖具室における建築家ミケランジェロ
第6章 文化的アルド・マヌーツィオと『ポリーフィロの愛の戦いの夢』の謎
エピローグ アルストピアの第二フェーズ―盛期ルネサンスの「時代の眼」
本書での分析がもたらす美的発見は、一五世紀末から一六世紀にかけてのイタリアで、文化的創造の過程においてひとつの変容が起きていたと考えられることである。レオナルド、ラファエッロ、コレッジョやアラルディ、ティツィアーノ、ミケランジェロ、そしてアルド・マヌーツィオと著述家たちは、いずれも、求められた課題──作品の規模、技法と素材、フォーマット、必要な機能、受容者の文化経験および知的背景、等々──に対して、先例や古代からの伝統の力を借りつつ、それぞれおびただしい新機軸と新創意を注ぎこんでいた。それらの過程では、しばしば美術家が、もはや注文者やパトロンのための奉仕者の立場にとどまらない能動的な存在として立ち現われている。「時代の眼」の提唱者であるバクサンドールによれば、一五世紀イタリアでは、概して美術家の立場はパトロンや注文者よりも弱く、かなり窮屈な環境で制作せざるをえなかったと想像されるが、本書で浮彫りにされる美術家たちは、しばしば、注文者やパトロンよりも一歩先、あるいは一段上の場所から作品の機能と意味をとらえて創造していた。食堂でのイメージの機能を刷新したレオナルド、円形フォーマットの魔術的力を操作したラファエッロ、酒神バッコスのイメージと観者のあいだに意味と身体の反映現象をつくりだしたティツィアーノたち、建築そのものを文化的議論の文脈におけるマニフェストに変えたミケランジェロは、いずれもすでにアーティスト(artist)と呼ばれる能動的創造者に変身しているように感じられる。本書で描かれた美術家たちの事例は、一五世紀イタリアにおける「時代の眼」のさらに先に第二のフェーズが現われたことを告げている。本書で再構成された多様な「時代の眼」は、ルネサンスという概念そのものの正当性や適用をめぐる議論に対して具体的な事例の光をあてるとともに、前近代における多様な文化的因子とその記憶を現代において再び想い起こすためのリソースになる。美術史学者ジョン・シアマンの、そして小説家フォースターの、助言を想い起こしながら、過去と現在を「」という言葉を本書のモットーとして最後に掲げよう。