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みすず書房 奥山淳志
点
岩手に移住後、カメラを携えはじまった東北の祭礼への旅。そこで目の当たりにするのは、遠い時代の人が創り出し、信じられてきた、神々や仏を迎え送る豊穣な物語が役割を失い、消えゆこうとしている光景だった。だが、今も変わらぬかたちで祭礼を続ける人たちもいる―北辺の地で死者と共に生きてきた人びとの営み、その地で己の魂と向き合い祈る人の姿。東北の風景と人の語りが抱く死者たちを想い、今日の死生観を問う17篇。
岬の光汀の向こう父の手のひら母性の匂い冬の滝へ赤倉の人晩秋の茅刈り―彼の生活1オジナオバナ冬から春、そして夏へ―彼の生活2新しい土地へ―彼の生活3カナシイホトケ春日祭タコ釣りの風景お盆の光ろうそくの火やまはげの夜あたらしい糸に
著者は「見つめる人」だ。かつてない喪失の時代の、その底深く、生と死の渾然とした風景とそこに佇む個人を見つめ続け、丁寧に手繰り寄せていく。言葉で、写真で、その眼差しで。この作品は、結晶化した「今」だ。――梨木香歩(作家)岩手に移住後、カメラを携えはじまった東北の祭礼への旅。そこで目の当たりにするのは、遠い時代の人が創り出し、信じられてきた、神々や仏を迎え送る豊穣な物語が役割を失い、消えゆこうとしている光景だった。だが、今も変わらぬかたちで祭礼を続ける人たちもいる――北辺の地で死者と共に生きてきた人びとの営み、その地で己の魂と向き合い祈る人の姿。東北の風景と人の語りが抱く死者たちを想い、今日の死生観を問う17篇。〈祭礼は人が作り出した「営み」のひとつだ。人は祭礼という「営み」を続けることで精神的な豊かさや強さを培ってきた。しかし、この変わりゆく世界のなかで、「伝統」というだけでこの「営み」が未来永劫続くと誰もが信じているのだろうか。少なくとも僕が見てきた祭礼の多くは「伝統」の前で立ち止まり、逡巡のなかにあるように思えた。もしかして、祭礼は生まれ変わろうとしているのかもしれない。だとしたら、今がその過渡期という気がしてならない。伝統のなかに遠い時代に生きた人の信仰や価値観を見出しながらも、それを捨ててでもそこに代わる新しい何か、この先の世界を生きる人にとって必要な何かを作り出そうとしている時代が「今」なのかもしれない。ただ、現在がそうした時代だとしたら、誰がその終焉を見守るのだろうという問いが僕のなかにはある。誰が受け継がれてきた営みを前にして「役割を果たした、もう十分なんだ」と声を掛け、見送るのだろうか〉(「赤倉の人」より)
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1位
又吉直樹
価格:1,320円(本体1,200円+税)
【2015年03月発売】
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[BOOKデータベースより]
岩手に移住後、カメラを携えはじまった東北の祭礼への旅。そこで目の当たりにするのは、遠い時代の人が創り出し、信じられてきた、神々や仏を迎え送る豊穣な物語が役割を失い、消えゆこうとしている光景だった。だが、今も変わらぬかたちで祭礼を続ける人たちもいる―北辺の地で死者と共に生きてきた人びとの営み、その地で己の魂と向き合い祈る人の姿。東北の風景と人の語りが抱く死者たちを想い、今日の死生観を問う17篇。
岬の光
[日販商品データベースより]汀の向こう
父の手のひら
母性の匂い
冬の滝へ
赤倉の人
晩秋の茅刈り―彼の生活1
オジナオバナ
冬から春、そして夏へ―彼の生活2
新しい土地へ―彼の生活3
カナシイホトケ
春日祭
タコ釣りの風景
お盆の光
ろうそくの火
やまはげの夜
あたらしい糸に
著者は「見つめる人」だ。
かつてない喪失の時代の、その底深く、
生と死の渾然とした風景とそこに佇む個人を見つめ続け、
丁寧に手繰り寄せていく。言葉で、写真で、その眼差しで。
この作品は、結晶化した「今」だ。――梨木香歩(作家)
岩手に移住後、カメラを携えはじまった東北の祭礼への旅。そこで目の当たりにするのは、遠い時代の人が創り出し、信じられてきた、神々や仏を迎え送る豊穣な物語が役割を失い、消えゆこうとしている光景だった。
だが、今も変わらぬかたちで祭礼を続ける人たちもいる――北辺の地で死者と共に生きてきた人びとの営み、その地で己の魂と向き合い祈る人の姿。
東北の風景と人の語りが抱く死者たちを想い、今日の死生観を問う17篇。
〈祭礼は人が作り出した「営み」のひとつだ。人は祭礼という「営み」を続けることで精神的な豊かさや強さを培ってきた。しかし、この変わりゆく世界のなかで、「伝統」というだけでこの「営み」が未来永劫続くと誰もが信じているのだろうか。少なくとも僕が見てきた祭礼の多くは「伝統」の前で立ち止まり、逡巡のなかにあるように思えた。もしかして、祭礼は生まれ変わろうとしているのかもしれない。だとしたら、今がその過渡期という気がしてならない。伝統のなかに遠い時代に生きた人の信仰や価値観を見出しながらも、それを捨ててでもそこに代わる新しい何か、この先の世界を生きる人にとって必要な何かを作り出そうとしている時代が「今」なのかもしれない。ただ、現在がそうした時代だとしたら、誰がその終焉を見守るのだろうという問いが僕のなかにはある。誰が受け継がれてきた営みを前にして「役割を果たした、もう十分なんだ」と声を掛け、見送るのだろうか〉(「赤倉の人」より)