[BOOKデータベースより]
第1部 京大から阪大講師に(26歳、1933年)(いざ大阪へ;かくして研究は始まった ほか)
第2部 中間子論から3年半、博士号取得(31歳、1938年)(ガリ版刷りのプログラム;語ろう、そして前へ ほか)
第3部 いかに論文を練り上げるか(26‐32歳、大阪帝国大学時代)(鋭気漂う計算ノート;論文を練り上げる ほか)
第4部 日本の「博士」に―ノーベル賞受賞(42歳、1949年)(ノーベル賞受賞;海を渡り湯川黒板が大阪大学へ ほか)
ノーベル賞受賞者はどのように論文を書き上げるのか。本書は26〜32歳の若き湯川が、大阪帝大在籍中に圧倒的に凄まじい研究を進めた姿を明らかにしている。
量子力学の黎明期の使命感みなぎる研究の日々のなか、友と手紙で意見を交わし、仲間と議論し、市民に語り、レフェリーの評価に反論する。
そして午後には仲間と野球をし、5時には西宮への帰途につき、時には息子の春ちゃん(春洋氏)の靴を買って帰るのである。
湯川は手紙や下書き、計算など、多数の史料を保存しており、本書では多数の史料をフルカラーで掲載。大阪大学で新たに発見された「素粒子の相互作用について」学位申請書類には主査の菊池正士がまとめた要旨もみられる。