[BOOKデータベースより]
共同体の記憶は世界理解の手掛かりとなるのか?グローバル化、都市、庭園、ヒロシマ、漂流する家族…多彩な知性と感性がくりひろげる百花繚乱の宴。
現代庭園論の限界と可能性について―R.ブーレ・マルクスの生涯とその業績
過ぎ行く時と「私の世界」
ポスト「超大都市(Mega‐cities)」へ―都市的なるもの(Being Urban)への視角
新たな社会規範と秩序形成に伴うジレンマ―「2ちゃんねる」の挑戦あるいは挑発
漂流する家族・「破産される」学校―ポスト高度経済成長期の子ども世界
複数のハビトゥス―P.ブルデューからB.ライールへ
オオクボの考現学序説
グローバル化と国家をめぐる問い―「グローリーナカル」と「人際関係」の社会理論
ヒロシマを擦りとる
IT化が顕在化させた信頼関係の不在―住基ネットの付番に伴う違和感はどこからくるのか。自治体は、データ管理所として住民の信頼を獲得できるのか。
リスク社会と公共圏
認識論と社会学―両者の関係を再考するための一試論
子どもの音体験と音風景―音環境問題の解決とサウンドスケープ・デザインのために
神宮外苑の文化史―帝国とスポーツ
「市民活動の時代」の光と影―変貌する日本社会と市民活動
ヒロシマの放置・ヒロシマの忘却を告発する映像と言葉―ヒロシマドキュメンタリーの解読(1)
芸術文化活動からみた都市の魅力―盛岡市を事例として
『地方都市』再訪序説―百霊廟を手がかりに
共同体の記憶は世界理解の手がかりとなるか? 多彩な知性の宴。
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