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彩流社 寺尾格
点
「現代」とは、近代との区別における「いま・ここ」の視点の強調である。1945年、1968年、1989年を経て、2001年9月のNYテロ、2011年3月11日の東日本大震災、収束をみないコロナパンデミック。相互に連関する「ポスト(〜以後)」を第二次世界大戦からフクシマまでを視野に、ドイツ語圏の現代演劇が日本において持つ「意味」を考える。
アウシュヴィッツ、ヒロシマ、そしてフクシマ以後鼎談『ベルリン・アレクサンダー広場』―ファスビンダーとニュー・ジャーマンシネマ(小野沢稔彦+渋谷哲也+寺尾格)ファスビンダーのメロドラマと市民悲劇―『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』と『ブレーメンの自由』ウィーン/ベルリン二都物語―一九九〇年代のドイツ演劇ベルリンの『三姉妹』―あるいはシュタイン、マルターラー、タールハイマー上演とテクスト―ゲーテ『ファウスト』のニコラス・シュテーマン演出フィリップ・レーレの反グローバル資本主義カリカチュアイェリネクとネストロイ―あるいはふたつの『アーベントヴィント』罵倒のかなた―トーマス・ベルンハルト『伐採』のクリスチアン・ルパ演出直島・豊島の現代美術とパフォーマンス空間書物のパフォーマンス性―書評:『多和田葉子/ハイナー・ミュラー 演劇表象の現場』『こわれがめ』の喜劇性―ドラマ構造と言語機能について
〈ポストドラマ〉のドラマトゥルギー「モダン」と一口にいっても時間軸をどこに置くかによって見える局面は様々に変わる。とりあえず「現代」とは「近代」との区別における「今/ここ」の視点の強調というあたりから始めてみる。つまり「近代批判」という多様でありながらも共通する課題が「現代(モダン)」という言い回しには、存在するのだ。「近代」演劇に対する「現代」演劇を最も広く理解すれば、19世紀後半から20世紀初頭以後になる。 あるいは1945年、1968年、1989年等の区切りを経て、2001年9月のNYテロ、あるいは2011年3月11日の東日本大震災、そして直近では「コロナ」パンデミック以後ということになる。これらの様々な「ポスト(以後)」という接頭辞の区切りは、もちろん相互に関連しているが、本書では、第二次大戦後から「フクシマ以後」までを視野に、ドイツ語圏の「現代演劇」が日本において持つ意味を考えて行きたい。【コンテンツ】(1)アウシュヴィッツ、ヒロシマ、そしてフクシマ以後(2)鼎談『ベルリン・アレクサンダー広場』ファスビンダーとニュー・ジャーマンシネマ(3)ファスビンダーのメロドラマと市民悲劇(4)ウィーン・ベルリン二都物語 一九九〇年代のドイツ演劇(5)ベルリンの『三人姉妹』あるいはシュタイン、マルターラー、タールハイマー(6)上演とテクスト ゲーテ『ファウスト』のニコラス・シュテーマン演出(7)フィリップ・レーレの反グローバル・カリカチュア(8)イェリネクとネストロイあるいは二つの『アーベントヴィント』(9)罵倒のかなた トーマス・ベルンハルトの『伐採』とクリスチアン・ルパの演出(10)直島・豊島の現代美術とパフォーマンス空間(補論1)多和田葉子書評(補論2)『こわれがめ』の喜劇性
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1位
又吉直樹
価格:1,320円(本体1,200円+税)
【2015年03月発売】
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[BOOKデータベースより]
「現代」とは、近代との区別における「いま・ここ」の視点の強調である。1945年、1968年、1989年を経て、2001年9月のNYテロ、2011年3月11日の東日本大震災、収束をみないコロナパンデミック。相互に連関する「ポスト(〜以後)」を第二次世界大戦からフクシマまでを視野に、ドイツ語圏の現代演劇が日本において持つ「意味」を考える。
アウシュヴィッツ、ヒロシマ、そしてフクシマ以後
[日販商品データベースより]鼎談『ベルリン・アレクサンダー広場』―ファスビンダーとニュー・ジャーマンシネマ(小野沢稔彦+渋谷哲也+寺尾格)
ファスビンダーのメロドラマと市民悲劇―『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』と『ブレーメンの自由』
ウィーン/ベルリン二都物語―一九九〇年代のドイツ演劇
ベルリンの『三姉妹』―あるいはシュタイン、マルターラー、タールハイマー
上演とテクスト―ゲーテ『ファウスト』のニコラス・シュテーマン演出
フィリップ・レーレの反グローバル資本主義カリカチュア
イェリネクとネストロイ―あるいはふたつの『アーベントヴィント』
罵倒のかなた―トーマス・ベルンハルト『伐採』のクリスチアン・ルパ演出
直島・豊島の現代美術とパフォーマンス空間
書物のパフォーマンス性―書評:『多和田葉子/ハイナー・ミュラー 演劇表象の現場』
『こわれがめ』の喜劇性―ドラマ構造と言語機能について
〈ポストドラマ〉のドラマトゥルギー
「モダン」と一口にいっても時間軸をどこに置くかによって見える局面は様々に変わる。とりあえず「現代」とは「近代」との区別における「今/ここ」の視点の強調というあたりから始めてみる。つまり「近代批判」という多様でありながらも共通する課題が「現代(モダン)」という言い回しには、存在するのだ。「近代」演劇に対する「現代」演劇を最も広く理解すれば、19世紀後半から20世紀初頭以後になる。 あるいは1945年、1968年、1989年等の区切りを経て、2001年9月のNYテロ、あるいは2011年3月11日の東日本大震災、そして直近では「コロナ」パンデミック以後ということになる。これらの様々な「ポスト(以後)」という接頭辞の区切りは、もちろん相互に関連しているが、本書では、第二次大戦後から「フクシマ以後」までを視野に、ドイツ語圏の「現代演劇」が日本において持つ意味を考えて行きたい。
【コンテンツ】(1)アウシュヴィッツ、ヒロシマ、そしてフクシマ以後(2)鼎談『ベルリン・アレクサンダー広場』ファスビンダーとニュー・ジャーマンシネマ(3)ファスビンダーのメロドラマと市民悲劇(4)ウィーン・ベルリン二都物語 一九九〇年代のドイツ演劇(5)ベルリンの『三人姉妹』あるいはシュタイン、マルターラー、タールハイマー(6)上演とテクスト ゲーテ『ファウスト』のニコラス・シュテーマン演出(7)フィリップ・レーレの反グローバル・カリカチュア(8)イェリネクとネストロイあるいは二つの『アーベントヴィント』(9)罵倒のかなた トーマス・ベルンハルトの『伐
採』とクリスチアン・ルパの演出(10)直島・豊島の現代美術とパフォーマンス空間(補論1)多和田葉子書評(補論2)『こわれがめ』の喜劇性