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[BOOKデータベースより]
久坂玄瑞全訳詩集(「丙辰草稿」(安政三年);「西遊稿」(上)(安政三年);「西遊稿」(下)(安政三年);「丁巳鄙稿」(安政四年);「東遊稿」(安政五年);「己未鄙稿」(安政六年);「庚申詩稿」(「庚申草稿」を含む)(万延元年);「辛酉詩稿」(文久元年);「癸亥詩稿」(文久三年);「雑詩」(年次不明))
久坂天籟詩文稿(詩編;文編(醫黌;醫家之弊;引痘要訣;謝任舎長;深慮論;送齋藤徳太郎序;書簡(在萩両親宛));参考資料編)
久坂玄瑞と高杉晋作は松下村塾で、吉田松陰の薫陶を受けた門下生のなかでの双璧である。
維新の変革期に、二人は身を挺して新しい時代をつくるべく奔走した志士であったが、ついに明治という近代国家の出現を見届けることなく、中途で倒れた。
玄瑞が蛤御門の変で討死にしたのは二十四歳。まことに短い生涯であったが、そのなかで、玄瑞はよく詩を賦した。
現存する彼の漢詩は三百三十余篇に及ぶが、その詩型は五・七言の絶句から律詩、さらに古詩にいたるまで自在によくこなした。日本の漢詩人の多くは作りやすい七言絶句を好む傾向にあるなかで、玄瑞はたしかに異能の漢詩人であった。しかも彼の詩心は深く、その詩才は高い。幕末維新期の最も傑出した詩人のひとりだとみてよいであろう。
高杉晋作もこの時代の気鋭な詩人であったことは、衆目の一致するところであるが、詩の表現に典故を巧みに使いこなす技倆においては、玄瑞の詩は晋作の詩をはるかにしのいでいた。若くして玄瑞は本格的な漢詩人の領域に到達していた。
玄瑞は自分の心につよく映るものがあれば、それを漢詩に表現し、自分の心を深く揺さぶるものがあれば、それを漢詩の姿に写し取っていくことにおいて、すこぶる熱心であった。それほどに玄瑞は自らが詩人であることに自覚的であったといえるであろう。
玄瑞の漢詩の典故表現ひとつをとりあげてみても、その学識教養は半端なものではない。それを誰から学んだのか。そこには蘭方医であった兄の玄機、玄機の友人の詩僧月性と中村九郎、そしてなによりも師の吉田松陰、口羽憂庵、さらには玄瑞が江戸に出向いた際に入門した芳野金陵などの指南が介在していたと考えられる。もうひとつ、玄瑞が二十歳過ぎたころに参加した「嚶鳴社」で漢詩作りの鍛錬を受け、そこには萩藩の学舎明倫館出身の名士たちがいて、その人たちから受けた影響も見逃せないであろう。
久坂玄瑞という詩人像は彼の天性の詩人としての資質と、こうした彼の青年期に培った学問の蓄積と詩作の鍛錬がなければ、実を結ぶことはなかったであろう。
西郷隆盛が維新政府の参議であったときに木戸孝允にむかって、「久坂先生がいまごろ存生なれば、お互いに参議などと威張ってはいられませんな」と語ったという。西郷は、「敬天愛人」の思想に徹した至誠の人であった。その西郷の玄瑞観である。玄瑞もまた至誠の人であった。
さてこの至誠の人玄瑞の詩三百三十余篇の一篇一篇の詩心を読み解いてきたのが、この『久坂玄瑞全訳詩集』である。
これに『久坂天籟詩文稿』を併録しているが、天籟は玄瑞の兄の久坂玄機の号である。玄機は歯洪庵の適塾で塾頭をつとめたほどの蘭方医であったが、のちに萩毛利藩の藩医に招かれて早逝した。その遺文も併せて読み解くことにした。
なお、昨年は明治になってから百五十年の節目にあたり、また今年は記念すべき改元の年を迎えた。本書の刊行が久坂兄弟の新しい詩文研究に役に立ち、その人物事績にたいする再評価の端緒になることを心から願っている。(まえがきより)
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