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道徳・宗教・監獄教誨
法蔵館 繁田真爾
点
近代日本は「悪」とどのように向き合ってきたのか―多様な「悪」の現実とそれへのまなざしを捉え、フーコー晩年の統治論に示唆を得た「自己の統治」という視座から描く、新しい思想史の試み。国民道徳と精神主義、犯罪と刑罰、死刑と監獄教誨の歴史など、イデオロギーと実践の両方から日本の「近代」と今日的課題に迫ろうとする果敢な挑戦!
近代日本の統治と仏教第1部 創られた規範―国民道徳の形成(近代日本における国民道徳論の形成過程―明治期の井上哲次郎にみる;一九〇〇年前後日本における国民道徳論のイデオロギー構造―井上哲次郎と二つの「教育と宗教」論争にみる)第2部 「悪」と宗教―清沢満之を中心に(日清戦争前後の真宗大谷派教団と「革新運動」―清沢満之「精神主義」の起原;清沢満之「精神主義」再考―明治後半期の社会と「悪人の宗教」)第3部 刑罰と宗教―監獄教誨の歴史(「監獄教誨」の誕生―明治一〇・二〇年代における刑罰と宗教;異端的教誨師と囚人たち―明治三〇年代における「清沢的契機」)「悪」と統治の日本近代
「悪」をめぐる“葛藤”の思想史!近代日本は「悪」とどのように向き合ってきたのか――。多様な「悪」の現実とそれへのまなざしを捉え、フーコー晩年の統治論に示唆を得た「自己の統治」という視座から描く、新しい思想史の試み。国民道徳と精神主義、犯罪と刑罰、死刑と監獄教誨の歴史など、イデオロギーと実践の両方から日本の「近代」と今日的課題に迫ろうとする果敢な挑戦。****************************本書のタイトルは、「「悪」と統治の日本近代」である。なぜ「悪」と統治の組み合わせなのか、とくに説明の必要はないかもしれない。近代の統治権力が、基本的に他者の統治や矯正をめざすものである以上、その根拠となる善悪の規準や判断は、統治にとってとくに重要な意味をもつことになるだろう。つまり「悪」の観念と統治の実践は、相互に密接な関係にあり、ほとんど対の関係にあるといってよい。それでは近代の統治権力は、「悪」をどのように眼差し、その「悪」の統治=矯正という理想の達成をめざして、どのような試みを今日まで繰り返してきたのだろうか。一方「悪」とみなされた当の主体は、どのような生き方や改心を求められ、どれだけの主体がそれを実践したのか(またはしなかったのか)。あるいは逆に、自己の「悪」の省察が、どのようにして新たな主体形成を積極的に促すことになったのか。そして本来は統治権力とは異なる「悪」の観念を有していた仏教は、新しく誕生した近代の統治権力と、どのような関係(協調や対抗関係)を結ぶことになったのだろうか。本書では、近代日本で初めて「悪」を思想・哲学的に主題化し、そこからさらに近代における「自己の統治」のあり方を追求した清沢満之の「精神主義」、あるいはより直截的な統治の現場である監獄教誨の歴史を通して、そうした「悪」と統治の問題を考察してみたい。清沢満之の思想や監獄教誨の歴史は、近代日本社会の基調であった世俗主義の論理や視座からだけでは充分な研究が難しいのであって、ここでこそ、まさに近代仏教史研究の視座や知見が活かされるであろう。(「序章」より)****************************
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[BOOKデータベースより]
近代日本は「悪」とどのように向き合ってきたのか―多様な「悪」の現実とそれへのまなざしを捉え、フーコー晩年の統治論に示唆を得た「自己の統治」という視座から描く、新しい思想史の試み。国民道徳と精神主義、犯罪と刑罰、死刑と監獄教誨の歴史など、イデオロギーと実践の両方から日本の「近代」と今日的課題に迫ろうとする果敢な挑戦!
近代日本の統治と仏教
[日販商品データベースより]第1部 創られた規範―国民道徳の形成(近代日本における国民道徳論の形成過程―明治期の井上哲次郎にみる;一九〇〇年前後日本における国民道徳論のイデオロギー構造―井上哲次郎と二つの「教育と宗教」論争にみる)
第2部 「悪」と宗教―清沢満之を中心に(日清戦争前後の真宗大谷派教団と「革新運動」―清沢満之「精神主義」の起原;清沢満之「精神主義」再考―明治後半期の社会と「悪人の宗教」)
第3部 刑罰と宗教―監獄教誨の歴史(「監獄教誨」の誕生―明治一〇・二〇年代における刑罰と宗教;異端的教誨師と囚人たち―明治三〇年代における「清沢的契機」)
「悪」と統治の日本近代
「悪」をめぐる“葛藤”の思想史!
近代日本は「悪」とどのように向き合ってきたのか――。
多様な「悪」の現実とそれへのまなざしを捉え、フーコー晩年の統治論に示唆を得た「自己の統治」という視座から描く、新しい思想史の試み。
国民道徳と精神主義、犯罪と刑罰、死刑と監獄教誨の歴史など、イデオロギーと実践の両方から日本の「近代」と今日的課題に迫ろうとする果敢な挑戦。
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本書のタイトルは、「「悪」と統治の日本近代」である。なぜ「悪」と統治の組み合わせなのか、とくに説明の必要はないかもしれない。近代の統治権力が、基本的に他者の統治や矯正をめざすものである以上、その根拠となる善悪の規準や判断は、統治にとってとくに重要な意味をもつことになるだろう。つまり「悪」の観念と統治の実践は、相互に密接な関係にあり、ほとんど対の関係にあるといってよい。
それでは近代の統治権力は、「悪」をどのように眼差し、その「悪」の統治=矯正という理想の達成をめざして、どのような試みを今日まで繰り返してきたのだろうか。一方「悪」とみなされた当の主体は、どのような生き方や改心を求められ、どれだけの主体がそれを実践したのか(またはしなかったのか)。あるいは逆に、自己の「悪」の省察が、どのようにして新たな主体形成を積極的に促すことになったのか。そして本来は統治権力とは異なる「悪」の観念を有していた仏教は、新しく誕生した近代の統治権力と、どのような関係(協調や対抗関係)を結ぶことになったのだろうか。
本書では、近代日本で初めて「悪」を思想・哲学的に主題化し、そこからさらに近代における「自己の統治」のあり方を追求した清沢満之の「精神主義」、あるいはより直截的な統治の現場である監獄教誨の歴史を通して、そうした「悪」と統治の問題を考察してみたい。清沢満之の思想や監獄教誨の歴史は、近代日本社会の基調であった世俗主義の論理や視座からだけでは充分な研究が難しいのであって、ここでこそ、まさに近代仏教史研究の視座や知見が活かされるであろう。(「序章」より)
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