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[BOOKデータベースより]
日本統治時代の証言から見えてきた「良き関係」と文化差による「誤解」。今こそ読まれるべき貴重な証言集『生活者の日本統治時代』の改定増補版。
第1章 植民地朝鮮の虚像と実像(日本人の想像を絶する反日の根底;戦後韓国の教育と歴史的事実のギャップ ほか)
第2章 聞き書き―日本人の体験から(誇り高き京城中学の朝鮮人級友たち―阿部元俊;生まれも育ちも朝鮮新義州―林健一 ほか)
第3章 聞き書き―韓国人の体験から(殖産銀行の我が黄金時代と思師への敬愛―朴承復;個人的な親しい感情と統治政策への許し難い思い―閔圭植 ほか)
第4章 朝鮮殖産銀行の日本人と朝鮮人(有賀光豊という人物;可能な限りの公平政策と戦後韓国を支えた朝鮮人超エリートたち ほか)
第5章 「和解できないわけ」はどこにあるのか(聞き書きから感じたこと;文化・習慣の違いから生まれる誤解 ほか)
日本統治時代を体験した人々の証言から見えてくるのは、日本人個人・市民両レベルでの、横暴、非道、残虐なことはほとんどなかったということだ。証言から見えてきた、「良き関係」と文化差による「誤解」とは。
≪内容紹介≫
―日本統治時代の証言から見えてきた「良き関係」と文化差による 「誤解」―この本は、15年前に出版された『生活者の日本統治時代』の改定増補版である。同書は現在書店には出回っておらず、古書しか手に入れることが出来ないため、著者から弊社へ是非再版したいとの申し入れがあり改定再版の運びとなった。本書は、日本人だけでなく韓国人も含めて、日韓併合時代の朝鮮で生活した人の証言を集めた本である。 実際の体験者が少なくなっていく中、証言の価値は今後ますます高まっていくだろう。また、資料として日韓併合前後の写真も新たに加えられている。 それらの写真と合わせて本文の証言を読んで頂ければ、よりリアルに当時の生活が迫ってくる。 今こそ読まれるべき貴重な証言が掲載されており、一次資料として大変価値のある書籍である。
≪著者略歴 呉 善花(オ ソンファ)≫
1956年、韓国、済州島生まれ。4年間志願で女子軍隊生活をする。
1983年来日、大東文化大学(英語学)留学生となる。その後、東京外国語大学大学院修士課程(アメリカ地域研究)修了。現在、執筆のかたわら、拓殖大学国際学部教授。
著書:『スカートの風』正・続・新、『日本の曖昧力』、『日本の美風』、『日本復興の鍵 受け身力』、『私はいかにして日本信徒となったか』、『韓国併合への道 完全版』、『日本人として学んでおきたい世界の宗教』、『なぜ反日韓国に未来はないのか』、『侮日論』、『反日韓国の自壊が始まった』など多数
≪はじめに より引用≫
私は戦後五十五年経った二〇〇〇年に、日韓にわたる日本統治時代の生活体験者からの直接の「聞き書き」を通してこの問題に接近してみました。ほぼ一年間をかけての仕事でしたが、それをまとめたのが『生活者の日本統治時代』(三交社)に収録した「聞き書き」です。研究といえるほどの研究ではありません。それでも、生身の声を通して見えてくる「生活者にとっての日本統治時代」がどのようなものであったか、それがいわゆる「過酷な植民地統治」といわれるようなものとはおよそ別のものであったこと、その一端を示すことがかろうじてできたのではないかと思います。本書は、その生身の声を再び掲載し、当時の写真資料なども加えて改めて世に問うものです。日韓併合について、異民族統治という政治支配のあり方それ自体が悪だという観点があるでしょう。しかしそのことと、そこでどのような生活が展開されていたかはまったく別の問題です。異民族統治下でのほうが解放後よりもずっとましな暮らしができていたという例はいくらでもあります。異民族統治以前の政権や解放後の政権のほうがよっぽど横暴で国民を弾圧したという例は少なくありません。日本統治時代の朝鮮は、明らかにこの例に属するものです。だからこそ「日本統治時代の体験者ほど親日感情・親日意識をもつ人が多い」のです。これが揺るぎない事実として認められる日が来るまで、私は本書で述べたのと同じことを繰り返し主張し続けることになるでしょう。
≪目次≫
写真で見る日韓歴史の真実
併合以前の極めて貧しかった朝鮮
中国からの独立と日本との併合
併合により飛躍的に近代化した街並み
併合後の豊かな生活
はじめに
風化させてはいけない併合時代の生の声
人々の生活模様が見えてこないのはなぜか
制度を超えた人と人との行き交いの実際を知りたい
なぜ体験者からの「聞き書き」が必要なのか
第一章 植民地朝鮮の虚像と実像
日本人の想像を絶する反日の根底
戦後韓国の教育と歴史的事実のギャップ
戦後韓国の反日民族主義
日本に来てから知ったこと
欠落していた「世界史的な観点」
無視される朝鮮人の生活者の声
日本人の善意の眼差しの危うさ
第二章 聞き書き ― 日本人の体験から
日本人体験者について
誇り高き京城中学の朝鮮人級友たち
生まれも育ちも朝鮮新義州
朝鮮人小学校で教えて
総督府警察幹部だった私
戦後韓国を支えた京城帝国大学時代の級友たち
ソウル上流家庭の女性たちの品格
劉鴻洵江原道知事への敬愛
平安南道小学校希望者全員入学化の達成
総督府農商局で終戦までを勤めあげて
朝鮮人に助けられた戦後収容所の生活
第三章 聞き書き ― 韓国人の体験から
韓国人体験者について
殖産銀行の我が黄金時代と思師への敬愛
個人的な親しい感情と統治政策への許し難い思い
あの当時、差別に気づいていなかったことが悔しい
よき友・よき教師、そして「謝罪しない日本人
」 秩序正しかった日本人と日本人有利に作られていた法律
第四章 朝鮮殖産銀行の日本人と朝鮮人
有賀光豊という人物
可能な限りの公平政策と戦後韓国を支えた朝鮮人超エリートたち
「産米増殖計画」を朝鮮に施行させた三島と有賀
朝鮮米作農業の飛躍的な発展をもたらした朝鮮殖産銀行の奮闘
第五章 「和解できないわけ」はどこにあるのか
聞き書きから感じたこと
文化・習慣の違いから生まれる誤解
「実際性」「事実性」に重点を置こうとしない韓国の知識人
「国」と「クニ」の区別と韓国市民社会の成熟こそ日韓和解の条件
身体化された「クニ」はけっして壊されていない