ゲスト さん (ログイン)
オンライン書店【ホンヤクラブ】はお好きな本屋での受け取りで送料無料!新刊予約・通販も。本(書籍)、雑誌、漫画(コミック)など在庫も充実
チベット仏教をめぐる対話 Le moine et le philosophe.
新評論 ジャン・フランソア・ルヴェル マチウ・リカール 菊地昌実 高砂伸邦 高橋百代
点
人生に意味を与えるものは何か。仏教の重要性をめぐる白熱対論。「近代」が捨象したチベット仏教の神髄。仏教僧と無神論者のフランス人親子が「仏陀の教え」の核心に迫る。
科学研究から精神の探究へ宗教なのか、哲学なのか?ブラックボックスの幽霊精神の科学?仏教の形而上学世界への働きかけと自己への働きかけ仏教と西洋宗教的精神性と脱宗教的精神性暴力はどこから生まれるか?知恵、科学、政治世界の屋根の上の赤旗仏教―衰退と再興信仰、儀礼、迷信仏教と死個人が王様仏教と精神分析文化の影響力と精神の伝統進歩と新しさについて僧侶が哲学者に質問する哲学者の結論僧侶の結論
チベット仏教の神髄を知る恰好の書、科学と宗教をめぐる異色の親子の白熱討論! フランスの哲学者ルヴェルは、哲学者とは本来、ソクラテスのように知恵の体現者であり実践者であったはずなのに、現代の哲学も科学も生きる知恵には無関心であることを率直に認める。そして、仏教が西欧で強い関心の的になる背景には、この空白を埋めたいという願望があると考える。彼は、前途洋洋の分子生物学者の道を捨ててチベットの高僧の下で修行した息子リカールと、真摯な議論を交わす。彼によれば、西洋思想の基軸は、意識ある主体としての人間の自立性の確立と、人間による世界への働きかけであり、17世紀以降、みなが歴史の進歩を信じてきた。 完全に行き詰まった世界の現状を前にして、仏教はわれわれに何を与えることができるのか。人間にとって一番大事な問い、いかに生きるべきかについて、僧侶は、仏陀の教えに従い、内面の完成に向かおうとする仏教の真のあり方を哲学者に説く。哲学者は、ギリシャ哲学からライプニッツに至る西洋哲学の歴史、認識論、精神分析などと突き合わせる形で、仏教の精神の科学、観想的科学について僧侶のことばを理解しようと努める。自我は実体のない幻想であり、あるのはたえざる意識の流れのみとする仏教の考え方をめぐって、対話は白熱する。 チベットの仏教文化が今、中国の暴力を伴う強制的近代化に脅かされているのに、なぜダライ・ラマがあくまでも非暴力に徹し、対話を求め続けるのかが、本書によってよくわかる。仏教の本質に発しているのだ。
この商品をご覧のお客様は、こんな商品もチェックしています。
マチウ・リカール ズアン・トゥアン・チン 菊地昌実
価格:4,180円(本体3,800円+税)
【2003年11月発売】
菊地大樹
価格:2,750円(本体2,500円+税)
【2023年03月発売】
ページ上部へ戻る
この商品に寄せられたカスタマーレビューはまだありません。
レビューを評価するにはログインが必要です。
この商品に対するあなたのレビューを投稿することができます。
本好きのためのオンライン書店
Honya Club.comは日本出版販売株式会社が運営しているインターネット書店です。ご利用ガイドはこちら
日本弁護士連合会民事介入暴力対策委員会
価格:4,400円(本体4,000円+税)
【2020年11月発売】
三田村信行 佐々木マキ
価格:1,287円(本体1,170円+税)
【1997年10月発売】
黒木あるじ
価格:2,090円(本体1,900円+税)
【2024年03月発売】
1位
又吉直樹
価格:1,320円(本体1,200円+税)
【2015年03月発売】
一覧を見る
[BOOKデータベースより]
人生に意味を与えるものは何か。仏教の重要性をめぐる白熱対論。「近代」が捨象したチベット仏教の神髄。仏教僧と無神論者のフランス人親子が「仏陀の教え」の核心に迫る。
科学研究から精神の探究へ
[日販商品データベースより]宗教なのか、哲学なのか?
ブラックボックスの幽霊
精神の科学?
仏教の形而上学
世界への働きかけと自己への働きかけ
仏教と西洋
宗教的精神性と脱宗教的精神性
暴力はどこから生まれるか?
知恵、科学、政治
世界の屋根の上の赤旗
仏教―衰退と再興
信仰、儀礼、迷信
仏教と死
個人が王様
仏教と精神分析
文化の影響力と精神の伝統
進歩と新しさについて
僧侶が哲学者に質問する
哲学者の結論
僧侶の結論
チベット仏教の神髄を知る恰好の書、科学と宗教をめぐる異色の親子の白熱討論!
フランスの哲学者ルヴェルは、哲学者とは本来、ソクラテスのように知恵の体現者であり実践者であったはずなのに、現代の哲学も科学も生きる知恵には無関心であることを率直に認める。そして、仏教が西欧で強い関心の的になる背景には、この空白を埋めたいという願望があると考える。彼は、前途洋洋の分子生物学者の道を捨ててチベットの高僧の下で修行した息子リカールと、真摯な議論を交わす。彼によれば、西洋思想の基軸は、意識ある主体としての人間の自立性の確立と、人間による世界への働きかけであり、17世紀以降、みなが歴史の進歩を信じてきた。
完全に行き詰まった世界の現状を前にして、仏教はわれわれに何を与えることができるのか。人間にとって一番大事な問い、いかに生きるべきかについて、僧侶は、仏陀の教えに従い、内面の完成に向かおうとする仏教の真のあり方を哲学者に説く。哲学者は、ギリシャ哲学からライプニッツに至る西洋哲学の歴史、認識論、精神分析などと突き合わせる形で、仏教の精神の科学、観想的科学について僧侶のことばを理解しようと努める。自我は実体のない幻想であり、あるのはたえざる意識の流れのみとする仏教の考え方をめぐって、対話は白熱する。
チベットの仏教文化が今、中国の暴力を伴う強制的近代化に脅かされているのに、なぜダライ・ラマがあくまでも非暴力に徹し、対話を求め続けるのかが、本書によってよくわかる。仏教の本質に発しているのだ。