ゲスト さん (ログイン)
オンライン書店【ホンヤクラブ】はお好きな本屋での受け取りで送料無料!新刊予約・通販も。本(書籍)、雑誌、漫画(コミック)など在庫も充実
反論理的思考のすすめ 光文社新書 290
光文社 香西秀信
点
著者は、論理的思考の研究と教育に、多少は関わってきた人間である。その著者が、なぜ論理的思考にこんな憎まれ口ばかりきくのかといえば、それが、論者間の人間関係を考慮の埒外において成立しているように見えるからである。あるいは(結局は同じことなのであるが)、対等の人間関係というものを前提として成り立っているように思えるからである。だが、われわれが議論するほとんどの場において、われわれと相手と人間関係は対等ではない。われわれは大抵の場合、偏った力関係の中で議論する。そうした議論においては、真空状態で純粋培養された論理的思考力は十分には機能しない。
序章 論理的思考批判第1章 言葉で何かを表現することは詭弁である第2章 正しい根拠が多すぎてはいけない第3章 詭弁とは、自分に反対する意見のこと第4章 人と論とは別ではない第5章 問いは、どんなに偏っていてもかまわない
みなさん、いままで論理的に考えてきて、何かトクしたことありま すか?議論力・反論力を身につけるための一冊私は、論理的思考の研究と教育に、多少は関わってきた人間である。その私が、なぜ論理的思考にこんな憎まれ口ばかりきくのかといえば、それが、論者間の人間関係を考慮の埒外において成立しているように見えるからである。あるいは(結局は同じことなのであるが)、対等の人間関係というものを前提 として成り立っているように思えるからである。だが、われわれが議論するほとんどの場において、われわれと相手との人間関係は対等ではない。われわれは大抵の場合、偏った力関係 の中で議論する。そうした議論においては、真空状態で純粋培養された論理的思考力は十分には機能しない。(本文より抜粋)■力関係が対等でない間で、対等 な議論が成り立つのか?例えば、ある会社の入社試験の面接で、人事担当者と受験者が、その会社の製品のCM内容をめぐって議論になった。人事担当者は議論を打ち切り、「これはわが社の方針なのだから、それに従えないのなら入社は諦めてもらう」と宣言した。これに対し、大学でディベートで鍛えあげたその受験者は、相手の非論理的思考を非難し 、こう金切り声をあげた。「それは虚偽だ、詭弁だ、『力に訴える議論』だ! 事柄の是非を突き詰めて議論せずに脅迫で自分の意思を通そうとするのは思考の停止だ!」――もちろん 、人事担当者は、「ああ、詭弁で結構だ」と、彼を退室させようとするだろう。少なくとも私ならそうする。(本文より抜粋)
ページ上部へ戻る
この商品に寄せられたカスタマーレビューはまだありません。
レビューを評価するにはログインが必要です。
この商品に対するあなたのレビューを投稿することができます。
本好きのためのオンライン書店
Honya Club.comは日本出版販売株式会社が運営しているインターネット書店です。ご利用ガイドはこちら
電撃G’sマガジン
価格:2,860円(本体2,600円+税)
【2021年09月発売】
黒木真理 塚本勝巳
価格:4,180円(本体3,800円+税)
【2011年07月発売】
1位
又吉直樹
価格:1,320円(本体1,200円+税)
【2015年03月発売】
一覧を見る
[BOOKデータベースより]
著者は、論理的思考の研究と教育に、多少は関わってきた人間である。その著者が、なぜ論理的思考にこんな憎まれ口ばかりきくのかといえば、それが、論者間の人間関係を考慮の埒外において成立しているように見えるからである。あるいは(結局は同じことなのであるが)、対等の人間関係というものを前提として成り立っているように思えるからである。だが、われわれが議論するほとんどの場において、われわれと相手と人間関係は対等ではない。われわれは大抵の場合、偏った力関係の中で議論する。そうした議論においては、真空状態で純粋培養された論理的思考力は十分には機能しない。
序章 論理的思考批判
[日販商品データベースより]第1章 言葉で何かを表現することは詭弁である
第2章 正しい根拠が多すぎてはいけない
第3章 詭弁とは、自分に反対する意見のこと
第4章 人と論とは別ではない
第5章 問いは、どんなに偏っていてもかまわない
みなさん、いままで論理的に考えてきて、
何かトクしたことありま すか?
議論力・反論力を身につけるための一冊
私は、論理的思考の研究と教育に、多少は関わってきた人間である。その私が、なぜ論理的思考にこんな憎まれ口ばかりきくのかといえば、それが、論者間の人間関係を考慮の埒外において成立しているように見えるからである。あるいは(結局は同じことなのであるが)、対等の人間関係というものを前提 として成り立っているように思えるからである。だが、われわれが議論するほとんどの場において、われわれと相手との人間関係は対等ではない。われわれは大抵の場合、偏った力関係 の中で議論する。そうした議論においては、真空状態で純粋培養された論理的思考力は十分には機能しない。
(本文より抜粋)
■力関係が対等でない間で、対等 な議論が成り立つのか?
例えば、ある会社の入社試験の面接で、人事担当者と受験者が、その会社の製品のCM内容をめぐって議論になった。人事担当者は議論を打ち切り、「これはわが社の方針なのだから、それに従えないのなら入社は諦めてもらう」と宣言した。これに対し、大学でディベートで鍛えあげたその受験者は、相手の非論理的思考を非難し 、こう金切り声をあげた。「それは虚偽だ、詭弁だ、『力に訴える議論』だ! 事柄の是非を突き詰めて議論せずに脅迫で自分の意思を通そうとするのは思考の停止だ!」――もちろん 、人事担当者は、「ああ、詭弁で結構だ」と、彼を退室させようとするだろう。少なくとも私ならそうする。
(本文より抜粋)