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- カーニヴァル化する社会
-
- 価格
- 814円(本体740円+税)
- 発行年月
- 2005年05月
- 判型
- 新書
- ISBN
- 9784061497887
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[BOOKデータベースより]
分断される自己イメージ、データベース化する人間関係…ネット世代の論客が解き明かす「僕たちの日常」。「ニート論議」「監視社会論議」の本質も明らかに。
第1章 「やりたいこと」しかしたくない―液状化する労働観(フリーターやニートだけが問題なのか;「やりたいこと」という貧困;ハイ・テンションな自己啓発)
[日販商品データベースより]第2章 ずっと自分を見張っていたい―情報社会における監視(「監視国家」か「監視社会」か;データが監視されるということ;データベースとの往復運動)
第3章 「圏外」を逃れて―自分中毒としての携帯電話(携帯電話と再帰的近代;「自己への嗜癖」とデータベース)
終章 カーニヴァル化するモダニティ(カーニヴァル化と再帰性;革命か、宿命か―カーニヴァルの時代を生きる)
2000年代の若者達のリアルを鮮かに斬る。「やりたいこと」を探し続けるニートたち、自己確認をするデータベースとしての監視社会、そして「ケータイ依存」。これらを支える社会のメカニズムを分析する。
分断される自己イメージ、データベース化する人間関係…
ネット世代の論客が解き明かす「僕たちの日常」
「日常の祝祭化」の中を生きる
私たちの生きる社会は、上述してきたような「祭り」を駆動原理にし始めているのではないか、と私は考えている。本書では、そうした祭りのメカニズムについて、様々な事例に分け入りながら明らかにしていきたい。祭りといっても、季節とともに訪れる、伝統的な祝祭のことではない。21世紀に入って以降の我が国で、そしておそらく欧米では20世紀の終わり頃から顕在化し始めた、日常生活の中に突如として訪れる、歴史も本質的な理由も欠いた、ある種、度を過ぎた祝祭について、それはいったい何なのか、なぜ今になってそうした祭りが頻発するのか、といった問題を、様々な角度から論じたのが、この本である。結論を先取りして述べることになるが、私が本書で論じる「日常の祝祭化」は、近代化と、そしてその徹底として生じる「後期近代」に特有な現象として説明することのできるものだ。また、そうした「日常の祝祭化」の中を生きる私たちのライフスタイルも、これまで近代のシステムが前提にしてきた、確固たる自己像とはまったく異なった種類の自己モデルを要請し始めている。本書で取り扱うのは、こうした、日常に祝祭がビルトインされることによって可能になる、社会や自己の仕組みや、その要因についてなのだ。――<本書より>