【特集】 黒田官兵衛を読む
[エッセイ]上田秀人 │ [ブックレビュー]末國善己 愚者か、天才か、義の人か―官兵衛小説を読む―
[ブックガイド]黒田官兵衛をもっと知るために │ 『軍師官兵衛ぴあ』
【ブックレビュー】末國善己
愚者か、天才か、義の人か―官兵衛小説を読む―
2014年のNHK大河ドラマが、豊臣秀吉の軍師・黒田官兵衛を描く「軍師官兵衛」に決まった。 ここ10年の大河ドラマを振り返ってみると、「風林火山」(2007年)の山本勘助、「天地人」(2009年)の直江兼続など、軍師を主人公にした作品が多いことに気付く。これは独断専行をするより組織の和を重んじ、リーダーになるよりサポート役を好む日本人の国民性が関係しているのかもしれない。そこで、江戸の昔から軍師の代表格として親しまれてきた官兵衛を取り上げた歴史小説を紹介していきたい。
坂口安吾『二流の人』
シニカルな視点で歴史をとらえた坂口安吾の『二流の人』は、タイトルそのままに、全編にわたって官兵衛を皮肉っている。
「賭博の勝者」が「人生の勝者」にもなるとする安吾は、官兵衛が、信長に反旗を翻し有岡城に籠城した荒木村重を説得に行く賭けに出たという。そこで官兵衛は、土牢に幽閉されただけで命を繋ぐ幸運を得たが、その後は乾坤一擲の勝負に出ることはなく、結果的に“二流”で終わったというのである。安吾は、「朝鮮遠征」の失敗をいち早く見抜き、和戦両面の準備をした石田三成を高く評価する一方、自分の能力を信じる官兵衛は三成の成長を認めることができなかったとする。安吾は、そんな官兵衛を「昨日の老練家は今日の日は門外漢」と評しているが、これは年を取ると誰もがはまる陥穽なので、注意したいものである。ただ安吾は、官兵衛を“愛すべき愚か者”としているので、官兵衛ファンが読んでも不快にはならないはずだ。
司馬遼太郎『播磨灘物語』
官兵衛は、晩年まで天下人になる野望を捨てなかった野心家とされることが多い。ところが、司馬遼太郎『播磨灘物語』は、高松城の水攻めなど華麗な作戦を考えた官兵衛を、無欲で芸術家肌の軍師としている。
司馬は、官兵衛の曾祖父・高政が連歌の点者などをしながら諸国を放浪、播州に居を構えた祖父の重隆は、諸国を巡っている広峰神社の御師に先祖伝来の目薬の販売を委託し、莫大な財産を得たとする。こうした一族の来歴が、金や出世よりも自己実現を第一に考える芸術家気質と、商人的な思考で戦略を立てる合理精神を育てたというのである。司馬は『竜馬がゆく』の坂本竜馬、『燃えよ剣』の土方歳三なども商人的な合理性を持った人物としており、『播磨灘物語』の官兵衛も、司馬らしい人物造形といえるかもしれない。
安部龍太郎『風の如く 水の如く』
関ヶ原の合戦の時、勝敗が決まるには時間がかかると見ていた官兵衛は、九州を制圧して国力を蓄え、上方にのぼって疲弊した勝者を討つという戦略を練っていたとされる。安部龍太郎『風の如く 水の如く』は、官兵衛が考えていたのは、さらに凄まじい謀略だったとしている。
物語は、家康の側近・本多正純が、黒田家が徳川打倒を計画していたという噂の真偽を確かめるため、長政(官兵衛の嫡男)、竹中重門(半兵衛の嫡男)などを訊問することで進んでいく。数々の謀略を仕掛けてきた正純と、父親の智謀を受け継ぐ長政、重門が繰り広げるスリリングな頭脳戦と心理戦は圧巻。やがて伊達政宗、前田利長、細川幽斎・忠興父子なども関係する壮大な陰謀の存在が浮かび上がるのだが、官兵衛の計画した謀略戦を通して、なぜ徳川秀忠は関ヶ原の合戦に間に合わなかったのか? なぜ西軍の吉川、小早川は最後まで東軍を攻撃しなかったのか? なぜ戦後、猛将の後藤又兵衛は黒田家を去ったのか? といった謎に、従来とは違った解釈が施されていくので、歴史好きほど驚きが大きいのではないだろうか。
火坂雅志『軍師の門』
黒田官兵衛に加え、秀吉に仕えたもう一人の軍師・竹中半兵衛を主人公にした火坂雅志『軍師の門』は、清冽で無欲な半兵衛と野心家の官兵衛という従来の人物像を、鮮やかに覆している。
難攻不落の稲葉山城をわずかの兵で落とした天才・半兵衛を訪ねた官兵衛は、智謀は自分のために使うべきであり、天下を盗るには悪党になる必要があるといわれてしまう。半兵衛を無欲な智者と思っていた官兵衛はショックを受けるが、やがて官兵衛は、半兵衛が単なる野心家ではなく、敵には鬼になっても、領民には慈悲を持って接する義≠フ心を隠していたことを知る。ここから二人は友情を深めていくが、そこは同じ軍師なので、相手よりも華麗な作戦を成功させ、世間に認められたいというライバル心は失っていない。友情と嫉妬心の間でゆれる二人の葛藤は、会社勤めをしていれば誰もが経験しているはずなので、共感も大きいのではないだろうか。
火坂は、半兵衛の遺志を受け継いだ官兵衛が、弱者を殺戮した信長や暴君に変じた秀吉のようにならず、領民が飢えず安心して暮らせる国を作ろうとしたとする。これは、利益のためならモラルを破り、従業員を簡単にリストラする経営者が増えている現状への批判のようにも思えた。
葉室麟『風渡る』『風の軍師』
秀吉が伴天連追放令を出した後に棄教したこともあって、歴史小説ではあまり強調されることはないが、官兵衛はキリシタン大名だった。葉室麟の『風渡る』と『風の軍師』は、キリシタンとしての官兵衛をクローズアップした異色作となっている。
『風渡る』は、過酷な運命に翻弄されながらも真摯に生きようとするキリシタン修道士ジョアン・デ・トルレスと、トルレスとの友情を深めることで、自身も美しく生きようとする官兵衛を描いており、やはり官兵衛=陰謀家とのイメージを覆している。反対に、目的のためなら手段を選ばない策士とされているのが半兵衛で、本能寺の変も、半兵衛とその遺志を引き継いだ官兵衛が深くかかわっていたとされているので、詳細は実際に読んで確認して欲しい。
キリシタンへの弾圧が強まるなか、官兵衛はキリシタンの同志たちと、人が自由に生きることができる国を作るべく動き始めるが、その理想が権力者によって圧殺されていく終盤は、せつなさも募る。
『風の軍師』は、ボルジア家に伝わる毒薬を軸に秀吉の死までを描いた「太閤謀殺」、関ヶ原の合戦の時に官兵衛が計画した謀略に迫る「謀攻関ヶ原」、官兵衛に仕えた後藤又兵衛が黒田家を出奔した理由を描く「秘謀」、細川ガラシャと小侍従いとを主人公にした「伽羅奢」など、5編を収録した連作集。『風渡る』のサイドストーリーや後日談もあり、二作を併せて読むと、九州に理想の国を作ろうとした官兵衛の想いがより深く伝わり、胸が熱くなるはずだ。
上田秀人『日輪にあらず』
上田秀人『日輪にあらず』は、官兵衛が秀吉に天下を取らせたのは、信長の理想を実現するためだったとして歴史を読み替えている。
信長が家臣に命令だけを端的に伝え、過酷なノルマを課し、裏切りを絶対に許さなかったのは有名だろう。信長が、こうした強引な手段を使ってまで天下統一を急いだのは、ヨーロッパの侵略から日本を守るという目的があるからだと気付いた官兵衛は、その政策に共鳴するが、その矢先、肝心の信長が光秀に殺されてしまう。
信長の“志”を継ぐのは、物欲がない秀吉だと考えた官兵衛は、卓越した戦略で秀吉の勝利に貢献していく。だが権力を手にするに従って傲慢になる秀吉を目にした官兵衛は、秀吉は信長の“志”を理解していない、単なる模倣者ではないかとの疑念を抱くようになる。
無欲だった秀吉も、嫡男の秀次が生まれると、天下を実子に譲りたいと考え、養子に冷酷になる。これが豊臣家崩壊の遠因になったとされているので、相続がいかに難しいかも納得できるだろう。
誰も信長の後継者になりえないと判断した官兵衛は、自身で天下を?もうとするが、その夢が破れてしまう終盤は寂寥感も強い。
官兵衛にこだわりを持つ上田は、本能寺の変の意外な真相を描いた『天主信長〈表〉我こそ天下なり』と、同じ事件を別の視点で再構築した『天主信長〈裏〉天を望むなかれ』でも官兵衛を重要な役割で登場させているので、本書と読み比べてみるのも一興である。
今岡英二『天下人の軍師』
今岡英二『天下人の軍師』は、意表をつく戦略で敵を圧倒しながら、味方は絶対に裏切らず、側室を持たない家庭人でもあった官兵衛の半生を描いている。若い読者を想定していることもあって独自の解釈は少ないが、有名な事件や合戦には丁寧な解説を加えながら時代の流れを追っているので、スタンダードな歴史小説になっている。登場人物のセリフや考え方が現代的すぎるようにも思えるが、それだけに親しみやすいので、大人も入門書として最適である。
どれほど厳しい現実に直面しても絶望せず、新しい時代を築くために駆け抜けた官兵衛は、年齢的には大人ではあるが、常に若々しく汚れた部分も少ないので、青春小説としても楽しめるだろう。
(日販発行:月刊「新刊展望」2014年1月号より)
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