2014年 1月号
青山七恵さん 『めぐり糸』
「いままで書いてきた中で1番長い小説を、自分の知らない世界や時代を描くことで、想像力をフルに使って書きたいと思っていた」という青山七恵さんの新刊『めぐり糸』。物語は、下関から東京へ向かう夜行列車の中、東京・九段の花街で育った女性の1人語りの形で綴られる。
終戦直後に生まれ、九段の料亭で育った〈わたし〉は、かつての売れっ子芸者で、実家の料亭を切り盛りする母と、同じ道を歩むことを夢見ていた。置屋に暮らす内向的な少年・哲治と出会い、2人で過ごす時間を重ねるうちに、相手を「分身」と思うほどの絆で結ばれていくが、その思いが特別であればこそ、〈わたし〉は2人の関係を恋とは遠ざけようとする。やがて〈わたし〉が、実業家の青年と恋をし、結婚することで一旦は離れ離れになる2人。しかし、偶然という運命の糸に導かれ、〈わたし〉が堅気とは言えない姿の哲治と再会することで、2人の人生は再び強く絡み始める─。
デビュー当初から、「自分以外の他者とどのように関係できるか」が作家としての一貫したテーマ。今作でも、特異ともいえる「理屈を超えて特定の他者とつながりたい」という思いの強さが、主人公を突き動かしていく。
花街を舞台にしたのは、「ある温泉街の最後の置屋がなくなったという小さなニュースを見て、(芸者を抱える)置屋という言葉に惹かれた」から。「昭和生まれなのに、昭和の歴史は教科書で習った程度にしか知らない。自分のルーツでありながら遠い時代を、小説で追体験できたら」と、主人公を戦後すぐの生まれに設定した。
その観察眼の鋭さに定評のある著者だが、「観察眼というよりは、思い出す力の方が強いのだと思います」。舞台である九段や向島に足を運んだ際も、メモなどはあまりせず、心に残ったものを執筆時に思い出しながら作品世界へと昇華させた。『めぐり糸』の冒頭部分は、執筆に専念するため滞在したフランスで書かれ、彼の地で出会った場所や人からもインスピレーションを得ている。
入念な取材の上に、著者自身の体験やさまざまな要素をそっと溶け込ませて描かれるのは、「私なりの昭和」。あえて知らない時代や世代を題材にすることで、想像力が生み出す空間のゆがみや時のひずみまでもが語りのおもしろさに磨きをかける。それらを圧倒的なリアリティをもって読ませる筆力は、挑戦作といえる本作でも健在だ。
著者自身、「本の世界に没頭することで、嫌なことや日常の煩わしさを忘れ、楽しい時間を過ごしてきた」という。近年、長編の執筆へと舵を切っている理由のひとつには、「主人公と一緒に小説の中を泳いで行くような読書の楽しみを、読者にも長く味わってほしい」との思いがある。本作も、〈わたし〉とともに、昭和から平成へと流れる大河のごときうねりを泳ぎ切った先には、確かな読書の至福が感じられるはずだ。
(日販発行:月刊「新刊展望」2014年1月号より)
今月の作品
- めぐり糸
- 夜行列車で語られる、愛を超える熱情に生きた女性の生涯。九段の花街で芸者の子として育った“わたし”は、置屋で暮らす子・哲治と出会う。それは、不可思議な運命の糸が織りなす長い物語の始まりだった…。