2014年 1月号
富樫倫太郎
人と違うことをする勇気
北条早雲は奇妙な男である。
人と違うことばかりしているのだ。
戦国時代の大名というのは、実力があればあるほど誰もが似たような動きをしている。天下を取るために京都に旗を立てようとするのだ。信長しかり、信玄しかり、謙信しかり、家康しかり、である。
ところが、早雲はそうではない。伊豆の支配者となると、次は相模を目指し、その次は武蔵を目指している。どんどん京都から離れていく。
早雲の奇妙さは、それだけではない。
家族をとても大切にした。
それを当たり前だと思うのは現代人の感覚で、当時は、娘が生まれれば政略結婚の道具にし、息子が生まれれば、兄弟同士の争いを防ぐために次男以下を仏門に入れたり、他家に養子に出したりする。親子や兄弟だからといって油断できないのが戦国時代で、信長や謙信は兄弟を殺して家督を継いでいるし、信玄もわが子を殺している。家庭内で血なまぐさいいざこざが起きなかった北条家は稀有な存在で、それは早雲の薫陶のおかげといっていい。
他にも奇妙なことがある。
早雲は領民を大切にした。彼らの生活が成り立つように腐心し、年貢を軽くしてやった。長い戦国時代を俯瞰しても、自分から年貢を下げた大名など早雲しか見当たらない。
当時、民政という観念がない。支配者から見れば、農民は牛馬以下の存在で、絞れるだけ絞り、それで死んでも構わないという酷い扱いをした。早雲だけが彼らを同じ人間として扱おうとした。
当然ながら、早雲は支配階級の反感を買った。
自分が正しいと思うことをしただけなのに、早雲の正しさは、その時代の支配層の常識からいえば正しいことではなく間違ったことだった。農民を餓死させることが正しく、農民を救うことは正しいことではなかったのだ。
早雲は葛藤し、寺に籠もって座禅を組んだ。己の心を真っ白にして、自分はいかに生きるべきかを静かに考え続けた。ある日、早雲は悟る。
「われ、悪人となるべし」
悪人とならなければ人助けができないという歪んだ時代に早雲は生きていた。東へ東へと進んでいったのも、そこに助けを求める者がいたからで、天下を取ろうという野心とは無縁だった。
多くの者を救おうとしたが故に、早雲は斎藤道三、松永久秀と並ぶ「戦国時代三悪人」の1人に数えられるまでになった。
みんなが声高に叫ぶことが正しいのではなく、たとえ人とは違っていても、自分が信じる道こそが正しいのだと口にする勇気、行動する勇気は現代においても必要なことではないか、という気がする。
(日販発行:月刊「新刊展望」2014年1月号より)
今月の作品
- 北条早雲 青雲飛翔篇
- 乱世の梟雄と呼ばれし男・北条早雲の物語が幕を開ける…。この時代の支配者としてはとても風変わりな北条早雲の人生を描く新シリーズ、第1弾。『早雲の軍配者』の原点がここにある。
富樫倫太郎さんにとっての「トクベツな3冊」
|
|
|