【特集】 夏山讃歌
[インタビュー]北村薫 │ [エッセイ]樋口明雄 │ [ブックガイド]山に誘う本 山を楽しむ本
アウトドア趣味といっても、もともとがハイカーやクライマーではなく毛鉤釣り師だったので、頂上を極めるピークハントには、ほとんど興味がなかった。
大きなバックパックに釣具やテントなどをつめて、渓流沿いに歩き、居心地がいいところを見つけると、そこに何日も居座り、昼は釣り、夜は焚火をして、酒を飲みながら星空を眺めていた。それが自分に合ったスタイルなのだと思っていた。
やがて結婚して田舎暮らしをするようになると、スローライフどころか、にわかに生活に追われて忙しくなり、独身の頃のように1週間も2週間も山にこもって家を空けるわけにはいかなくなった。
山梨県から自然監視員を拝命して里山をパトロールし、移住先の地元との軋轢を解消するために、ボランティアで犬の訓練を受けて、田畑を荒らすサルを追い払うモンキードッグのハンドラーになった。
もともと〈約束の地〉という小説を書くために、さまざまな問題をはらんだ地方の農村問題に深く切り込んだのがきっかけだった。それがミイラ取りがミイラになるかのごとく、ふと気がつくと、小説の執筆をよそに、自分自身が害獣による農業被害対策の最前線で戦っていた。
山に入る時間もめっきりと減った。せいぜい年に一度か二度、八ヶ岳や南アルプスにひとりで登り、ひっそりと頂を踏んで降りてくる程度だった。それがあるとき、とつぜん変わったのは、たまさかある山に出会ったからだ。
南アルプスの主峰である北岳。
標高3193メートル。日本で2番目に高い山。
荒々しい山容や植生豊かな独特の林相。尾根筋に続くトレイルをたどるときの、何ともいえぬ解放感。バットレスと呼ばれる巨大な岩壁の迫力。大樺沢の雪渓を這い下りてくる白いガス……。
そこにあるあらゆるものが、自分の好みに合っていた。きっと、ひと目惚れしたのだろうと思う。
雄大な自然のみならず、そこで出会う人々も優しかった。山小屋のスタッフたち。多くの登山者。もちろんマナーを外した者もいるにはいるが、そうしたすべてを含めて、ぼくは北岳という山が大好きになった。
〈天空の犬〉という小説は“山岳救助隊”と“犬”という、自分のふたつの得意分野を合体させて、まったく新しいジャンルに挑もうと思って企画した。その舞台は、やはり大好きな北岳でなければならなかった。
だから、取材と称して足繁く通ったわけだが、どうやらいつの間にやら、ぼくのほうが山に取り込まれてしまったらしい。またもやミイラ取りがミイラになったわけだ。
この作品も、のちに“南アルプス山岳救助隊K-9シリーズ”となり、第2作目として〈ハルカの空〉が、春に発売となった。今回は、北岳を訪れる人々、そこで働く人たちの心を、より深く描く作品になったと自分でも思っている。
拙著をお読みいただき、もしも北岳という山に興味を持っていただけるのであれば、ぜひ、一度、ご自分の足で訪れてほしいと思う。山の本当のすばらしさは、やはり自分の足でゆかねばわからない。ひとたび、あの頂に立てば、きっとぼくのように、北岳という山にひと目惚れするはずだ。
(日販発行:月刊「新刊展望」2014年7月号より)
[インタビュー]北村薫 │ [エッセイ]樋口明雄 │ [ブックガイド]山に誘う本 山を楽しむ本
Web新刊展望は、情報誌「新刊展望」の一部を掲載したものです。
- 新刊展望 2014年7月号
- 【主な内容】
[特集] 夏山讃歌
[インタビュー] 北村薫
[エッセイ] 樋口明雄
[ブックガイド] 山に誘う本 山を楽しむ本