2014年 7月号
畑野智美
夢のイギリス
某月某日
ロンドンへ行く準備、行くまでに終わらせる仕事で、落ち着かない。のめり込めるエンタメ小説が読みたいと思っていたら、脚本家の渡辺雄介さんが初の小説『MONSTERZ』(集英社文庫)を刊行したというので、早速買いにいく。映画を脚本家自ら小説化したもの。人間を操れる男と唯一操れない男の対決を描いている。設定の奇抜さに埋もれない人間性の書き方が脚本の時と同様に、抜群にうまい。
某月某日
早朝からロンドンへ出発。到着時間と時差を考えて、飛行機の中ではあまり眠らないようにする。円地文子の三部作『朱を奪うもの』『傷ある翼』『虹と修羅』(講談社文芸文庫)を持ってきたので、読み進めていく。旅行には、上下巻以上の長さがある本を持っていく。イギリス文学にしようか迷ったが、日本食が恋しくなるように日本の小説が読みたくなると予想して、円地文子を選んだ。一人旅だったため、ロンドン塔でチケット購入の列に並びながら、フォートナム&メイソンで紅茶ロイヤルブレンドを飲みながら、ミュージカル『レ・ミゼラブル』や『ビリー・エリオット』の劇場で開演を待ちながら、ひたすら読んでいく。時期的に日本人観光客が少なくて、日本語を話すことも聞くこともほとんどなかった。到着した日の夜には既に「世田谷のお家に帰りたい」と、ぼんやり考えていた。東京の地名にお家とつけると、昭和の女流作家のようだ。
某月某日
鉄道に乗って、オックスフォードへ向かう。オックスフォード大学最大のカレッジであるクライストチャーチを見学する。ルイス・キャロルが『不思議の国のアリス』のアリス・リデルと出会った場所で、トールキンやC・S・ルイスも通っていた。グレート・ホールと呼ばれる食堂には、アリスのキャラクターのステンドグラスがある。現在も使用されているため、昼休みには観光客の立ち入りが禁止されて、14時半頃に再び見学できるようになる。お昼前に到着したので、入ってすぐに閉められてしまった。街中を歩き、クライストチャーチが見えるカフェで昼ごはんを食べながら、午後の見学開始 を待つ。映画のセットのような建物(映画『ハリー・ポッター』シリーズでは、ホグワーツ魔法魔術学校のロケ地に使われた)が目の前にあることが信じられず、「これは夢?」と何度もつぶやく。イギリスの作家達にとってはこの建物の中で生活していることが日常なのだから、日本の作家には書けないものが書けるだろう。しかし、逆もまた同様である。カフェの隣にあるアリスグッズのお店で、トーベ・ヤンソンがイラストを描いた『不思議の国のアリス』と『スナーク狩り』を購入する。村山由佳さん翻訳で『不思議の国のアリス』(メディアファクトリー)は日本でも発売されているが、『スナーク狩り』は入手困難のため、見つけたら必ず買うと決めていた。クライストチャーチに戻り、グレート・ホールにあるルイス・キャロルの肖像画を拝む。
某月某日
帰国。寄稿した『観ずに死ねるか!傑作青春シネマ邦画編』(鉄人社)が届く。宮藤官九郎さんや園子温監督など、私以外の執筆陣が超豪華。ちょっと読むつもりが、ずっと読んでしまう。
某月某日
身体を休ませるために、近所の温泉施設へ行く。休憩室で『突然、僕は殺人犯にされた』(竹書房文庫)を読む。お笑い芸人のスマイリーキクチがインターネット上である事件の犯人と言われ始めてからの10年について、本人が書いている。「ネット怖い!」では済まされない人間の怖さが見えてくる。ブログを通した交流の楽しさも書いてあり、ネットが悪いことばかりではないことも分かる。考えさせられることが多すぎて、休めずに家に帰る。
(日販発行:月刊「新刊展望」2014年7月号より)
今月の作品
- メリーランド
- 芸の道も恋人も。かつてのスターコンビの結末。ブサイク芸人のほのかな恋心。ライバルコンビの出現……。弱小お笑いプロダクションに集まってくる「いろんな人の、いろんな人生」。『南部芸能事務所』に続く連作短篇集。