【インタビュー】 冲方丁さん 『はなとゆめ』
『天地明察』『光圀伝』に次ぐ、冲方丁さんの歴史エンターテインメント第3弾の登場である。『はなとゆめ』――主人公は清少納言。「彼女がいかにして彼女となり、あの『枕』を書くに至ったか」を描いた。
一度目の結婚に破れた清少納言は、まわりが勧める相手と再婚し、穏やかな日々を送っていた。やがて「女で機知に富み、才媛なるは、元輔の娘」との噂が広まり、28歳にして宮中に出仕することとなる。あるじは、一条帝の后である中宮定子。初めは華やかな内裏の雰囲気と、女房たちの若さや家格に気後れして局に閉じこもるばかりの清少納言だったが、中宮定子に漢詩の才を認められたことから、次第に宮仕えの日々を楽しむようになっていく。わずか17歳にして「人を見抜き、導き、才能をその人自身に開花させる、優れた君主の気風と知恵とを身に備えた」ひと、定子。清少納言はそんなあるじをかけがえのない存在として思い、「中宮様の番人になりたい」と強く願うのだった――。
『天地明察』『光圀伝』における江戸時代の雄々しい男の物語に対して、平安王朝を舞台にした女流文学者の物語『はなとゆめ』。一見すると、両者の世界観はまったく違う。しかし、その背骨には同じものが貫かれている。
冲方丁さんに『はなとゆめ』創作についてうかがった。
「枕草紙」誕生前夜の物語
―冲方さんにとって3作目の歴史小説です。その主人公を清少納言に選ばれたのはなぜですか。
冲方
きっかけは『光圀伝』です。光圀は歴史書編纂を目指すにあたって中国の「史記」を参考にします。そこで「史記」の日本におけるエピソードを探しているときに、清少納言の言葉に出会いました。贈り物の紙に「何を書こうか」と中宮定子から問われた清少納言は、「帝が『史記』(敷)をお書きになるのなら、私たちは『枕』でしょう」と答えたと。その言葉がずっと頭の中に残っていたんです。
そして、『光圀伝』の時代の「江戸(幕府)・歴史書・男性文化」に対する「京都(朝廷)・かな・女性文化」。その両方を書くことで、日本がざっくりと見えてくるのではないかという自分の期待もありました。
何よりも、清少納言の人生が想像以上にドラマチックだったんです。中宮定子と清少納言の師弟愛や、姉妹であるかのような関係。これらを書けば、今まで自分がトライしたことのない作品になるだろうと思いました。
そうして改めて枕草子を読んだとき、連想したのは「アンネ・フランクの日記」でした。つらく苦しい境遇の中にありながら、自分たちが持つ最も良い文化を言葉にして、あるいは精神性を言葉に託して、後世に残そうとした。迫害した相手への恨みつらみではなく。それは今の時代にもマッチしているのではないかと思いました。不況や震災など暗い出来事はあるけれど、受け継いでもらうべき精神性を自己の中で発見する。そういうことを書くのにうってつけの題材ではないかと。
そういった理由から、今回は清少納言を書くことに決めました。
―清少納言は、同じ平安の女流文学者である紫式部とよく比較されることもあって「明るい人、才気走ったキャリアウーマン」的なイメージがあります。しかし『はなとゆめ』に最初に登場する彼女は、自信なく、後ろ向きで、不器用で……。だからこそ親近感を抱くことができましたが、正直、意外でもありました。
沖方
枕草子を読む限り、この人は中宮定子と出会う前はほとんど動きません。「おい、働けよ」という感じ(笑)。ただ、本人にも自分の人生を動かしたいという気持ちがあったからこそ、女房として出仕したのでしょう。そこでたまたま出会ったのが、名プロデューサーみたいな中宮定子。人に何かを与えるというよりは、その人をその人にしてあげる、特殊かつ優れた才能を、中宮定子は持っていました。一条天皇も中宮定子の存在によって聡明で勉学好きな一条天皇になっていったんです。
中宮定子は、清少納言のこともうまく導きました。枕草子の中でも有名な「香炉峰の雪」のくだりは、中宮定子が清少納言のために万全の舞台装置を作り、ふさわしい場所に連れて行ってあげた、いわば女性どうしの「マイ・フェア・レディ」。二人の関係は、女子高の先輩と後輩に置き換えてもいいと思うし、職場の先輩後輩、上司と部下、女帝と家臣、とにかく理想的な上下関係です。それが枕草子には描かれている。清少納言は自分の人生のかけがえのない記憶として、それを書き記しているわけです。
さらにおもしろいことに、中宮定子のほうが清少納言より10歳以上若い。中宮定子とは本当にこんなに優れた人だったのだろうか、もしかしたら中宮定子を動かす仕掛け人が向こう側にいたのではないかと疑いもしました。でも、枕草子を読めばそう思うしかないんです。
―枕草子は、清少納言が中宮定子のために書いたものであるとともに、大好きなあるじとの愛しい記憶を残すためのものでもあったのですね。
冲方 清少納言のモチベーションがどこにあるかといえば、中宮定子が与えてくれた自分の位置がまず一つ。そして中宮定子が亡くなった後、彼女はぷっつり枕草子を書いていませんから、これは確実に中宮定子の存在があったからこそのものだろうと言えます。宮中には枕草子ファンも出来ていたので、書き続けていれば読んでくれる人はいたはず。にもかかわらず、中宮定子の死後ほとんど書かれていないということは、やはり中宮定子のために書かれた要素は非常に大きかったのだろうと思います。
―「清少納言の恋と風流、そして戦いの日々」。それがこの物語ですね。
冲方 枕草子には、当時を知る人々からすれば当然であった部分は書かれていませんが、それ自体が清少納言にとっては戦いであったわけです。武士の斬り合いではない、歌と風流を武器とした雅な戦い。そういう駆け引きは、いま読んでも非常におもしろく、現代に通じるものでもあると思います。
(2013.10.8)
(日販発行:月刊「新刊展望」2013年12 月号より)
インタビューはまだまだ続きます。続きは「新刊展望」2013年12月号で!
Web新刊展望は、情報誌「新刊展望」の一部を掲載したものです。
続きは「新刊展望」2013年12月号で!
- 新刊展望 12月号
- 【主な内容】
[まえがき あとがき] 坂井希久子 話を聞く人聞かない人
[インタビュー] 冲方 丁『はなとゆめ』
冲方丁さんにとっての「トクベツな3冊」
|
|
|