2014年 6月号
山口 花
犬と人間の物語
とにかく私は、物忘れがとても激しい。昨年の夏は猛暑だったのか、冬は豪雪だったのか、桜の開花はいつだったのか……。そういったことの記憶があまりない。記憶の容量が小さいのか、それとも、過ぎてしまったことはすぐに忘れてしまうオメデタイ性格なのか……。あまりの忘れん坊ぶりに、ガックリと肩を落とすことがしばしばである。
そんな私ではあるが、「忘れないこと」もある。それはたくさんの方々からお聞きした「犬とのエピソード」。
きっかけは大学の授業で目にした文章だった。「犬は人間と見つめあうことができる動物である」。わかっていたようでも、あらためて言われると、目から鱗が落ちたような気持ちになった。
かつて私は犬と暮らしていた。とにかく大きいゴールデン・レトリバーだった。持ち前の明るさで、たくさんの人に愛された。狭い家の中では、彼の存在感はひときわ大きかった。
確かに彼は私を見つめてくれていたように思う。彼を思い出すたびに浮かぶのは、茶色の瞳だ。「本当に犬は人間の目を見つめてくれるのだろうか?」
私は、さっそく犬と暮らす友人の家に行き観察を始めた。確かに1人と1匹は見つめあっていた。そして、犬は友人の行動をつぶさに観察していた。友人と犬は、お互い自分の気持ちを主張し合っていた。「こうして欲しい、こうしてくれ」。どうするのかと思えば、そこでお互いが折り合いをつけ始める。まるで何年も連れ添った夫婦のように。
この観察の楽しさに味をしめた私は、犬を飼っている友人を訪ね歩いた。そして友人の友人、そのまた友人と、次々と犬と飼い主との輪が広がっていった。
行く先々では、思いがけず話がはずんだ。あの頃、私はまだペットロスを引きずっていた。「やっぱり、犬がいる暮らしって素敵ですね」。ついポロリとこぼしてしまう私。その言葉を聞いた飼い主の方々は、ポツリポツリと話を始める。「自分の思い込みかもしれませんが……」そう前置きをして。
「こんなことがあったのよ」。「こんな風にこの子に救ってもらったのよ」。「笑ってくれてもいいのよ」。そう言いながらも、思い思いのエピソードを語ってくれた。
どの方のエピソードも、心に染みた。ひとりの人間の歴史に、ひとつの家族の歴史に、しっかりと寄り添っている犬たち。私の心にそれらのエピソードは深く刻まれた。
犬は飼い主に対して、直接手助けをしてくれる訳ではない。ただ黙って寄り添い、そして体温を伝える。犬には、それしかできない。がしかし、それはとてつもなく大きな力を飼い主に与えてくれる。そんな犬と人間のエピソードを小説として書いたものが「犬から聞いた素敵な話」。
人間が誰でも直面する、あるいはこれから直面するかもしれない「人間ドラマ」も読み取っていただけたら、著者としてとても嬉しい。
(日販発行:月刊「新刊展望」2014年6月号より)
今月の作品
- 犬から聞いた素敵な話 あなたと暮らせてよかった
- 「仲よくしようね」。そう約束した日から、あたしたちは家族になった…。実話をもとに人と犬とのキズナを描いた、全14編の感動ストーリーを収録。30万部を突破したデビュー作に続く書き下ろし。