2014年 5月号
飛鳥井千砂
家族と仕事と
○月△日
入院している親族がいるので、何か手伝えることがあればと、郷里の祖母の家に出向く。夜になり、実家の私の家族や親族達も集まってきた。今後のことや昔のことを話したりしながら、血のつながった人たちと一緒に、久々に夕食を囲んだ。
数日滞在した後、帰りの新幹線の中で読んだ『チーズと塩と豆と』(集英社文庫)に収録されている、角田光代さんの「神様の庭」という話が、自分の今の状況とリンクしていて驚いた。
スペインの田舎町で育った女性主人公は、料理人の父が、母が余命宣告されたことを知らせるのに、一族を集めて豪華な晩餐を開いたことが許せない。やがて育った町と家族に反抗して都会に出るが、時が経ち彼女は、自ら家族や親族に料理を振る舞うために、食事を共にするために、故郷に戻る。
この主人公ほどではないものの、私もかつて自分の郷里や家族に、多少の反抗心を抱いて、都会に出てきた。けれど時が経ち、今、郷里や彼らのことをどう思うかと聞かれたら、決して「嫌い」ではない。久々に共に夕食を囲んだ夜も、状況が状況だけに「楽しかった」とは言えないものの、どこかふわふわとして、浮ついた気分があったことは否めない。
そんなことを考えながら、現在の自宅、血のつながらない家族と暮らしている部屋の扉を開けた。
○月△日
劇団四季が上演していたフレンチミュージカル『壁抜け男』を鑑賞。何の予備知識も無しに観に行ったのだが、あまりに好みだったので、後日エーメの原作が収録されている『変身ものがたり』(筑摩書房)を買った。
地味で真面目な役人のデュチユールは、ある日突然、壁を抜けられるという能力を手にする。最初は戸惑うものの、やがて壁を抜けて何でも盗み出し、世間を騒がせる怪盗になる。
舞台では、怪盗になった壁抜け男が、年老いた娼婦に宝石をプレゼントしたり、新聞配達の少年や街角の絵描きと交流したり、「義賊」として活躍しているのがよい。
戦後のフランスにおいておそらく弱者で、差別もあっただろう市井の人々の、仄かな喜び、心の触れ合いに光を当てている良作。
○月△日
先月受けた健康診断の結果が届く。大きな問題はないが、持病の貧血があと少しで怪しい数値で、再検査を勧められる。
長年貧血を患っているせいで、毎朝ただ起きることが、私にとってはかなりの苦行だ。私にもノッカー・アップ(目覚まし屋)さんがいればいいのに、と独り言ちながら、『メアリー・スミス』(アンドレア・ユーレン 光村教育図書)を再読。
ゴムチューブに詰めた豆を吹いて飛ばし、窓にぶつけて人を起こす、ノッカー・アップのメアリー・スミスさんについて描いた絵本。産業革命の頃のロンドンに、実在した人だという。
夜明け前から順番に、パン屋さんを起こし、汽車の車掌さんを起こし、街中を目覚めさせるメアリー・スミス。しかし仕事を終えて家に帰って来たら、自分の娘がベッドでまだぐうぐう寝ていた、というセンスのいいオチには、初読みのとき、声を出して笑ってしまった。
こちらも『壁抜け男』同様、市井の人々の暮らし、仕事にスポットを当てた作品。
いつの時代も、人にはそれぞれに求められる役割、仕事があって、みなが懸命にそれをこなすことで、世界は動いているのだと思う。
私に求められる役割があるとすれば、それはやはり「物語を紡ぐ」こと。だから今日も、原稿に向かう。
貧血の再検査にも、きちんと行こうと思う。私が仕事をするのを待っていてくれる人と、私のことを「嫌い」じゃないはずの、血のつながった家族と、血のつながっていない家族のために。
(日販発行:月刊「新刊展望」2014年5月号より)
今月の作品
- 鏡よ、鏡
- 化粧品会社の美容部員として出会った莉南と英理子。まるで対照的な相手に惹かれ、親交を深める。だが、あることをきっかけに、ふたりは人生の選択を迫られる…。現代を生きる女性ふたりの友情と決断の物語。