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特集・対談

関連商品

等伯 上
安部龍太郎
都に出て天下一の絵師になる。養父母の非業の死により故郷を追われ、戦のただなかへ。激動の戦国の世と法華の教えが画境を高みに誘う…。長谷川「等伯」誕生を骨太に描く傑作長篇。〈受賞情報〉直木賞(第148回)
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等伯 下
安部龍太郎
誰も見たことのない絵を。狩野派との暗闘、心の師・千利休の自刃、秀吉の世に台頭する長谷川派を次々と襲う悲劇。亡き者たちを背負い、おのれの画境に向かう…。とこしえの真善美、等伯がたどりついた境地とは。〈受賞情報〉直木賞(第148回)
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レオン氏郷
安部龍太郎
先の見えすぎた男が背負った重き十字架…。信長が惚れこみ、秀吉が畏れた武将・蒲生氏郷の知られざる生涯を描く長編小説。月刊文庫「文蔵」での連載「獅子王氏郷」を、加筆・修正した書。
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関ケ原連判状 上巻
安部龍太郎
豊臣秀吉亡き後、再び風雲急を告げる乱世。徳川家康に従うか、それとも石田三成につくか。東西両軍どちらに味方するかで、それぞれの思惑が錯綜するなか、第三の道を模索する英傑がいた。その名は、細川幽斎…。
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天馬、翔ける源義経 上
安部龍太郎
平安末期。平氏追討の決起を促す以仁王の令旨が兄弟の運命を変えた。奥州藤原氏の下に逼塞していた弟・義経、そして伊豆に流罪となっていた兄・頼朝。黄瀬川で対面を果たし、力を合わせて源氏再興を図る二人だったが…。
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蒼き信長 上巻
安部龍太郎
尾張守護代の一家臣の身で三河、美濃を席巻した織田信長の父・信秀。合戦に明け暮れた苛烈な生涯。そして家出少年・信長の放浪の日々…。信長の知られざる空白期。織田信長の青春記を描く歴史巨編。
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2013年 4月号 祝・直木賞受賞

【ロングインタビュー】 安部龍太郎 人と作品

デビューから『等伯』までの道のり
聞き手 縄田一男

安部龍太郎 Ryutaro Abe
1955年福岡県生まれ。久留米高専卒。90年『血の日本史』でデビュー。2005年『天馬、翔ける』で第11回中山義秀文学賞を受賞。13年『等伯』で第148回直木賞を受賞。『彷徨える帝』『関ヶ原連判状』『信長燃ゆ』『生きて候』『天下布武』『恋七夜』『道誉と正成』『下天を謀る』『蒼き信長』『レオン氏郷』ほか著書多数。

縄田一男 Kazuo Nawata
文芸評論家。1958年東京都生まれ。専修大学大学院文学研究科博士課程修了。著書に『捕物帳の系譜』(大衆文学研究賞)、『時代小説の読みどころ』(中村星湖文学賞)他。アンソロジー編者としても活躍。各誌紙で書評を連載中。本誌「おもしろ本スクランブル」時代小説編担当。

新人時代の「荒行」

縄田 直木賞受賞おめでとうございます。

安部 ありがとうございます。

縄田 安部さんとは20年以上のおつきあいになりますね。

安部 もう25年です。

縄田 まだ直接お会いする前でしたが、共同通信の「中間小説時評」で私は安部さんの「知謀の淵」を取り上げさせていただきました。あれが実質的な処女作と見てよいのでしょうか。

安部 初めて商業誌に載った作品は「師直(もろなお)の恋」ですが、「知謀の淵」はそれより前、小説新潮新人賞に応募した作品に手を入れて改題したものです。ですからある意味では「師直の恋」より「知謀の淵」を書いたのが先になりますね。

縄田 その後、「週刊新潮」に連載したのが「日本史 血の年表」。血の日本史のタイトルで1990年に刊行されました。前任者が体調を崩されたため急遽ピンチヒッターでの連載だったんですね。これは大変な仕事だったと思います。古代から明治維新まで歴史の分水嶺の中で敗れ去った英雄を、週刊誌読み切り一回または前後編二回で書く。限られた枚数に毎週毎週ストーリーと歴史観が求められるわけで、かなりの荒行だったと思います。

安部 忘れもしません。当時の担当編集者に呼ばれて新潮社を訪ねたら、「こういう連載があるが、君、リリーフをやるか」。締切はいつですかと言うと、二週間後だと(笑)。それが始まりでした。つまり、何の準備もなく、あの荒波の中に投げ込まれたんですね。しかもテーマが毎回違う。三日で調べて、二日で書いて、一日頭を冷やして七日目に見直す。その繰り返しです。一日も休めないわけですよ。そして、最初頼まれたのは二十四回、半年間。そのつもりで全力疾走したのに、あと二か月やってくれ、あと二か月と延長して、結局一年の連載になったんです。それはそれは大変な仕事でした。しかし、そのおかげで基礎体力がついたということはあると思います。

縄田 古代から始まる日本人の神への意識、やがてそれは天皇、帝への意識に変わりますが、結局、幕末に至って神の座が庶民の座へ移されていく。『血の日本史』を通読すると、そんなテーマが見えてくるような気がします。

安部 それは以前にも縄田さんにご指摘いただきましたね。私自身はそういう意識がないまま書きましたが、自分の中に根づいているものの見方や表現したいものが、図らずも出たのかなと思います。

縄田 作品を読んだ隆慶一郎さんが「この作家に会いたい」とおっしゃって、隆さんが亡くなってしまったのでそれは実現しなかったわけですが、「隆慶一郎が最後に会いたがった男」という文章を私は書かせていただきました。そういう惹句めいたものはプレッシャーになりましたか。

安部 ある時期まではあったでしょうか。ただ、隆慶一郎さんは仰ぎ見るような大きな存在でしたから、何とか近づきたいという思いで精進を続けることが出来ました。そういう点では逆にありがたいと思っています。

縄田 隆慶一郎という存在は、昭和から平成への時代小説の橋渡しでもありました。あれほどいろいろな歴史研究の最新史料を作品にぶち込んだ人は、ほかにいなかったですね。

安部 そして、その人間力です。学徒出陣し、戦後日本の変わりように絶望感も抱えていらっしゃって、それでも人間を愛する力をまっすぐにお書きになった。そういうところに私はしびれます。

縄田 一時、文学が恥ずかしげに放逐してしまった人間賛歌を、真正面から書いた。隆さん自身、還暦を過ぎてから書き始めたにもかかわらず、心は青春でしたね。

安部 そうなんです。私の文学の出発点は戦後無頼派でしたが、隆さんの作品を読むと「これは戦後無頼派の復活だ」と思いましたから。


文化の力というテーマ

縄田 安部さんの初期の作品では、波浮(はぶ)の築港計画をめぐる権力抗争を海外エンターテインメントの手法で書いた黄金海流があります。

安部 この作品は「サスペンス時代小説」と銘打ちましたが、当時私は外国文学をよく読んでいて、どうして日本の歴史小説はこんなダイナミズムを取り入れないのだろうと感じていました。ですから、何か野心的な構えで臨みましたね。

縄田 それから、19年前に直木賞候補になった彷徨(さまよ)える帝。南北朝時代ではなく後南朝時代を扱った作品は、おそらくこれが初めてではないかと思います。

安部 私の出身地は福岡県八女市の奥の黒木町ですが、ここは南朝方の人々が最後の砦にした地です。しかも後南朝時代まで命脈を保った。そういう歴史的な場所で育ったことが、私の後南朝に対する視点、あるいはシンパシーと言いましょうか、そういうものにつながっているのかも知れないですね。

縄田 伝奇的な趣向も散りばめられていて、後醍醐天皇の怨念が込められた三つの能面というのがあります。オーソドックスな面と新しい歴史解釈の面が二つながらに、この小説には出ていると思います。

安部 後南朝時代は、オーソドックスな手法ではなかなか書けなくて、そこに物語の芯を通そうとすると、ミステリアスな仕掛けを持ち込むことが必要だったんです。

縄田 そして安部さんがいよいよ真価を問うべき作品として発表したのが関ヶ原連判状だと思います。その前に書かれた作品も含めて、日本史における文化や伝統の問題が常に戦国の動向を左右していたというとらえ方をされていますね。『関ヶ原連判状』の前哨戦として、黒田如水を書いた風の如く水の如くがありますが、『関ヶ原連判状』のほうは細川幽斎。古今集の秘伝を伝える「古今伝授」を司った幽斎が、朝廷を巻き込んで関ヶ原の第三の陣営を画策すると。

安部 古今伝授という武器を使った幽斎のしたたかなところは、短編や中編の素材にもなっていたと思います。しかしこれはきちんと見てみるとすごい問題で、朝廷が自分の存在意義をかけて古今伝授を取り込みたいと願った、それは日本の朝廷の存在そのものに関わる問題であったということです。それを操る幽斎は、妖怪のようなスケールの大きな男だったのだろうと私は思ったわけです。

縄田 敷島の道を治めるものが国をも司るということですね。

安部 和歌自体は古今和歌集の頃からそういう役割を担ってきました。戦国時代を扱うとついつい武将たちの合戦になってしまうわけですが、実はそうではなかろうと。今でも私はそう思っています。

縄田 桑原武夫が中里介山の『大菩薩峠』について言っています。これは日本の文化のあらゆる層に通じている、一番底にあるシャーマニズム的なドロドロした層にまで到達していると。『関ヶ原連判状』でも、古今集に宿る死者たちの思いみたいなものを考えると、同じことが言えるのではないかという気がします。その死者たちの思いは、権謀を振るいに振るった細川幽斎ではなく、一介の武辺者である石堂多門に宿る。その皮肉なラストも好きです。
かつて日本の時代小説は、歌や俗謡にいろいろな意味を宿らせていたと思うんです。たとえば『大菩薩峠』では、伊勢神宮でお玉が歌う「間の山節(あいのやまぶし)」があった。そういうものに目配りをして作品を書いていくことは、日本人の深層をとらえるのに非常に有効な手段ではないかと思います。
関ヶ原連判状』で脇役を務めた関白・近衛前久(このえさきひさ)を主人公として、後奈良帝崩御から正親町(おおぎまち)帝即位の間に時間軸を取った神々に告ぐも、文化の力を一つのテーマにした作品ですね。戦乱の中、近衛前久が文化的問答のようなものをしている。

安部 教理問答みたいなもので、普遍的な大義とは何かといった討論会です。それを行うことで、信長たちが攻め込めない手段にもしてしまう。戦国に対抗する文化の力の象徴的なシーンかも知れないですね。

縄田 そこだけはいかなる権力もアンタッチャブルな文化的空間となるというのは魅力的でした。

安部 ありがとうございます。私は今までの作品でそんなことをたくさん書いてきたんですね。

(2013.2.5)
※「知謀の淵」「師直の恋」は『バサラ将軍』収載
(日販発行:月刊「新刊展望」2013年4月号より)

インタビューはまだまだ続きます。続きは「新刊展望」2013年4月号で!

Web新刊展望は、情報誌「新刊展望」の一部を掲載したものです。
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新刊展望 4月号
【今月の主な内容】
[まえがき あとがき] 吉田篤弘 偶然と連鎖
[ロングインタビュー] 安部龍太郎 人と作品 聞き手:縄田一男
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