2013年 11月号
貫井徳郎さん 『北天の馬たち』
「出身が本格ミステリー畑ということもあり、僕にとってはトリックやどんでん返しこそが大切なものでした。人間描写には興味がなかったんです(笑)。結構最近まで、そんな気持ちでいました」
そう語る貫井徳郎さんが、初めて「トリック」を封印し「人間描写」に力点を置いて執筆したのが、昨年直木賞候補にもなった『新月譚』である。以降の作品は「自分の中でも大きく変わった」という。今作『北天の馬たち』は、『新月譚』以後の著者が到達した、まさに新境地といえるもの。深く豊かな人間ドラマに心揺さぶられる、美しいミステリーである。
「自分が書いたことのないものへの挑戦として、今回は友情についての物語をまず考えました。嘘も裏切りもない友情です。普遍的なテーマではあるけれど、僕自身は今まで書いてこなかった。その理由は、書いてみてわかりました。裏切りやどんでん返しが常だった作風に、友情というテーマは合わなかったからなんですね」
横浜・馬車道近くの喫茶店《ペガサス》。毅志は、その店の若きマスターである。ある日、2階の空き室に入居希望の男たちがやってくる。皆藤晋と山南涼平。ふたりは2階で《S&R探偵事務所》を開業した。毅志は彼らの探偵仕事を手伝い始めるが、そこに一つの計画が仕組まれていたことを知ってしまう。それは、ある人物を陥れようとするものだった。皆藤と山南の目的とは。そしてそこに隠された真実とは─。
端正で優しく、ミステリアスな皆藤と山南。ふたりに憧れ、認められたいと願う毅志。著者が描く「友情」は、皆藤と山南、同時に毅志と皆藤&山南のものでもある。さらに物語の終盤、張り巡らされた伏線がすべてつながり、真実が明らかになったとき、もう一つ違った形の友情が姿を現してくる。
「友情をそれほど信じていない人もいるのかも知れない。でも、僕が考える男の友情とは、こういうものです」
横浜を舞台にした私立探偵小説として、馬車道、イセザキモール、みなとみらい、さらには寿町や新港埠頭……横浜の街が丁寧に描き込まれているのも、本作の妙味だ。
「特定の土地を描くこと。それも自分にとっての新しい挑戦でした。書くにあたって横浜中を歩き回り、改めてこの土地が好きになりました」
この10月で、作家デビュー20周年を迎えた。
「振り返ると、あっという間でした。気分的には、新人とはさすがに言わずとも新鋭くらいのつもりです。7、8年目頃の新鮮な気持ちを常に保っていきたいと思います」
そうは言っても、20年のキャリアがこの作品に結実していることは間違いない。20周年記念作品の名にふさわしい、極上の長編小説である。
切なくも美しい「友情」という名の絆の物語。ラストシーンの余韻をそっと抱きつつ、巻頭に置かれた「ペガスス座」の解説引用に立ち返ってみてほしい。胸に迫るものが、きっとある。
(日販発行:月刊「新刊展望」2013年11月号より)
今月の作品
- 北天の馬たち
- 横浜・馬車道にある喫茶店「ペガサス」で働く毅志は、2階に探偵事務所を開いた皆藤と山南の仕事を手伝うことに。しかし、皆藤と山南はある人物を陥れるための計画を秘めていることが明らかになり……。