2013年 2月号
天野純希さん 『破天の剣』
歴史時代小説の若き旗手の一人、天野純希さん。新刊『破天の剣』で描いたのは、戦国時代の猛将、島津家久の生涯である。
群雄割拠の戦国、九州。薩摩の島津宗家第十五代当主・貴久には四人の息子がいた。四男の家久は、十五歳で初陣後、多くの戦で勝利する戦巧者。九州の覇権争いの中、豊後・大友宗麟、肥前・龍造寺隆信らの大名を破っていく。だが島津四兄弟の九州統一の夢は、豊臣秀吉と秀長に阻まれる。そして「軍神」とも呼ばれた戦の天才、家久は生き急ぐかのように病に倒れるのだった─。十六代当主となった長兄・義久は、家久を「類稀なる名剣」になぞらえる。それが表題『破天の剣』の所以である。
「島津氏で有名なのは義久や(次兄の)義弘。でも、史料を読んで一番魅かれたのは家久です。戦がやたら強くて、兄たちとは母親が違う、歳の離れた末っ子。死に方も謎が多い。この人は何なんだろうと思ったのがきっかけでした」
家久は決して史料が多い人物ではない。取材に赴いた鹿児島で天野さんは「地元でのマイナーさに驚いた(笑)」という。「この本で少しでも家久の名が知られるといいなと思います」
家久の物語であるとともに、島津四兄弟の群像劇としても魅力的な小説である。
「キャラクターは史料を基本に創りました。四兄弟の祖父・島津忠良が、それぞれを評した言葉を残しています。<三州の総大将たるの材自ら備わり>、でんと構えた大将型の長男義久。<雄武英略を以て他に傑出し>、突っ込んでいくタイプの次男義弘。<始終の利害を察するの智計並びなく>、頭が切れる三男歳久。<軍法戦術に妙を得たり>、戦争の才能がある四男家久。家久に関しては、『家久君上京日記』からも人となりを読み取りました。日記には、行く先々で酒盛りをしたとか、漁師の真似をして遊んだと書いてある。子どもっぽい人だったのだろうと」
天賦の才と無邪気さ。しかし、その陰には出自に対する懊悩、そして孤独があった。
「天才の孤独を書きたいと思いました。才能があることは即ち幸せと言えるのか。夢と才能とが食い違っていたらどうなるのか。それは現代人にも通じることですよね」
全編にわたる数々の合戦シーンは迫力大。親子、兄弟、妻や子との絆の物語でもある。さらにこの『破天の剣』、ブックデザインにも注目してほしい。カバーをはずすと、シブい和本のような角背の書物。表紙に「丸に十字」の島津の家紋が浮かび上がる。戦国気分を大いに盛り上げてくれるのだ。
若くして、直球から変化球まで多彩な歴史時代小説を著す天野さん。歴史ものは「何でもできるのがおもしろい」と語る。
「正統派の歴史小説だけでなく、たとえば音楽小説にも青春小説にも仕立てることができる。現代小説のようにリアリティに縛られることも少なく、自由度が高いんです」
小学生で既に父の本棚から司馬遼太郎や吉川英治を手にしていたとか。「その読書体験は骨身になったかな(笑)」
(日販発行:月刊「新刊展望」2013年2月号より)
今月の作品
- 破天の剣
- 戦国の世、秀吉を恐れさせた風雲児がいた。戦うことだけが、男の生きる術だった…。島津家の知られざる智将・島津家久、その波乱に満ちた生涯を描く。気鋭の著者が描く、書き下ろし戦国史小説。