【ロングインタビュー】 葉室麟 人と作品
聞き手 縄田一男
ミステリー的趣向と人生の悲哀
縄田 直木賞受賞おめでとうございます。候補五回目での受賞ということで、選考結果の発表をお待ちになっている間はさぞ落ち着かなかったのではないですか。
葉室 これまでは毎回、担当編集者の方たちとお酒を飲んで待っていて、たいてい午後七時半頃にはかなり酔っていました。そのまま記者会見となっていればえらいことで……。でも今回は全然飲まなかったんですよ。偉かったと自分で自分を褒めたいですね(笑)。
縄田 では、受賞作『蜩ノ記』からお話をうかがっていきましょう。
時代小説で武士を書くときには、往時の武士をそのまま描く作家と、現代人と合わせ鏡にする作家とがいます。そして、往時の武士と現代人ではどこが一番違うのかを考えてみると、侍は死に向かって生きていることを常に意識していたのに対して、現代の人間には多分それはないだろうと。
『蜩ノ記』は、元郡奉行(こおりぶぎょう)の戸田秋谷(とだしゅうこく)が、前藩主の側室と密通したとして幽閉され、家譜編纂と十年後の切腹を命じられるところから始まります。そこに、奥祐筆(おくゆうひつ)・檀野庄三郎が監視兼補佐役としてやってくる。しかし庄三郎には、秋谷がそのような罪を犯す人物には見えず、真相を調べていくという設定になっているわけです。葉室さんの作品にはこのようにミステリー的な趣向がしばしば出てきますね。
葉室 もともと推理小説が好きなんです。十代の頃読んだコナン・ドイルから始まって、エラリー・クイーン、ヴァン・ダイン、最近ではサラ・パレツキーの「V・I・ウォーショースキー」、スー・グラフトンの「キンジー・ミルホーン」、P・D・ジェイムズの「コーデリア・グレイ」など女性探偵ものも好きです。それで特に意識せずとも、ミステリーっぽいところが出てくるという感じですね。
縄田 藤沢周平さんが『彫師伊之助捕物覚(ほりしいのすけとりものおぼえ)』シリーズを書かれたときは、机の横にレイモンド・チャンドラーを積んであったそうです。
葉室 私はジョルジュ・シムノンのメグレ警視ものも好きです。男のありようみたいなものがメグレにはあると思います。もしかしたら自分が書く登場人物の類型には、それが若干入っているのかもしれないという気もします。
縄田 メグレ警視には近いものがあるのではないでしょうか。
葉室 メグレ警視ものは、事件を解決したらその後があるのが好きなんです。裁判に行ったり、メグレがストーブをかき回しながら事件や犯人のことを考えたり。そこで人生の悲哀が表れてくる。
『乾山晩愁』で尾形乾山を書きましたが、「晩愁」は晩年の愁い。兄の尾形光琳が亡くなった後の中年以降の愁い、悲しみなんです。それはメグレものと通じるかもしれないですね。
縄田 それにメグレの場合、事件が解決するのは、謎を解いたときではなく、犯人の人生を理解したときですね。『蜩ノ記』も、秋谷がしたことの意味がだんだん明らかになってきて、おそらく時代小説を読み慣れている読者ほど、そこで早トチリすると思います(笑)。しかし物語にはさらにその奥がある。そして秋谷の家をかばった百姓の子・源吉(げんきち)が拷問によって惨死した後の展開は、まさに涙なくして読めませんでした。本当の侍とはどう身を処さなければならないか。秋谷の息子・郁太郎は、元服前の少年であっても侍だったと。
葉室 時代小説で描かれるのは、日本人の原型や原風景みたいなものだと思います。昔は源吉のように家が貧しくて親を助けて働いている子がいましたね。昭和の時代にも。でも今、源吉のような子を描くのは難しい。子どもなのに人格者で完全無欠なんて、そんなはずはないだろうという話になる。
現代は、人をまず否定して見る面があると思います。でも時代小説の世界は肯定から入る。「こういう人もいた」と言えるところが時代小説の魅力の一つかなと思います。
武士の覚悟
縄田 最近は昭和レトロブームと言いますか、「昔はよかった」式のものが多いですね。過去の時代の痛みには目を向けず、良い部分ばかり出てくる。同様に時代小説でも、江戸はユートピアにもなり得るけれども、逆にその中で武士は厳しい戒律を持っている。武士が刀を持っているのは、いざ何かあったときには人に言われる前に自分で自分を裁かなければいけないから、という厳しさがある。
先日、「三匹の侍」(一九六三年〜六九年放映のテレビ時代劇)をDVDで見ました。すると実に悲惨な話ばかりなんです。百姓の水争いがあったり、貧しさゆえに娘を売らなければいけなかったり。日本が高度経済成長に向かっていた時代に放映された番組でありながら、その中ではまだ差別や貧困があることを主張していた。ちょっと驚きました。
葉室 私たちの仕事は藤沢周平さんの作品の延長の中にあると思うんですが、藤沢さんは『白き瓶』で長塚節(たかし)の話を書かれていますね。長塚節の小説は「土」一作だけです。「土」は明治に夏目漱石の後に新聞連載した作品で、農村の悲惨さが色濃く書かれている。明治の日本が近代化で成長を遂げていく様子は司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』の世界ですが、それと同時期に東京近辺でもこういう悲惨な状態があり、その中で生きる人たちを「土」は見つめているんですね。それは藤沢周平さんの作品とも共通するかもしれません。藤沢さんの作品の中には、高度経済成長下やバブル社会の片隅で、自分を大切にして生きていく人々がいる。そこに向けられた視線の優しさがあります。
時代小説はユートピアとして描かれることもありますが、単純なユートピアではなく、悲惨さを知っている上で夢として描くというところがあるのではないでしょうか。武士が持っている覚悟の凄まじさも、そこに通じるのかもしれませんね。単に責任を負うかっこいい人ではなく、自分の命を懸ける人だと。
縄田 今のお話を聞いて、山本一力さんの言葉を思い出しました。山本さんは市井ものの時代小説できめ細やかに人情を描く書き手の一人ですが、「侍はよほどの覚悟がなければ書けない」とおっしゃったんです。やはり本物の侍を書くのはしんどいことですか。
葉室 それも確かに言えると思います。ただ江戸時代の侍は、その前の戦国時代や中世の侍と比べるとだんだんサラリーマン化していきます。知行(ちぎょう)から扶持米取(ふちまいど)りになって。その中でどう生きていくかを考えなければいけない人たちという意味では、現代人にも通じるのかなと。皆が皆、覚悟を持った武士ではないと思います。
たとえば、武士の修養書である「葉隠(はがくれ)」には殉死が説かれていますが、それを教える人は生きている(笑)。本当は組織の中に埋没しなければならないけれど、生きたいという欲望は太平の世になればどんどん膨らんでくるはずです。しかしそれでよいのかという問い直しが、武士の中で伝えられていったのではないか。切腹の作法も含めて教えられるのは、もしかしたらそうなるかもしれないことを突き付けられていた、それが武士という存在だったと。実際にその人が武士らしく生きられるかどうかは、その局面に立ってみないとわからないのだろうと思います。
縄田 元禄時代の赤穂浪士の切腹などはまさに形式だけになっていて、刀を腹に置くと介錯人が介錯をしたんですよね。「葉隠」も本来は鍋島一藩の武士道であって、むしろ明治になってから政府が国のために死んでくれる人間を作ることに利用したと。
葉室 その辺が不思議ですよね。元禄時代には切腹も形ばかりの扇子腹(せんすばら)みたいになっていったけれど、幕末には、境事件で切腹した土佐藩士が自分の臓物を投げつけたとか、武市半平太が三文字腹を切るとか、そんな凄まじさも出てきたりするわけで。
縄田 地方の土着的な侍のほうがすごい。
葉室 中央の武士はサラリーマンや都市遊民的になってしまったけれど、地方の土着の武士は会津も薩摩も土佐も、教えられたことをまともに信じた。そしてそれが自分の美意識に適ったということではないかと思います。
(日販発行:月刊「新刊展望」2012年4月号より)
Web新刊展望はここまで!ロングインタビューの続きは新刊展望4月号で!
- 新刊展望 4月号
- 【主な内容】
[懐想] 高橋源一郎 「追憶」ではなく
[ロングインタビュー] 葉室麟 人と作品 聞き手:縄田一男