2012年 10月号
高野史緒さん 『カラマーゾフの妹』
世界的名作『カラマーゾフの兄弟』(以下、略して『兄弟』)。ドストエフスキーはこの小説の「第二部」を予告しながら、世に出すことなく逝った。今、百三十年余を経て、それを形にした、刺激的なミステリーが現れた。今年度江戸川乱歩賞受賞作、高野史緒さんの『カラマーゾフの妹』である。
「『兄弟』は大学生の頃に読んで、どうも腑に落ちない感が残る小説でした。でもドストエフスキーは大昔の異国の人だから、考え方も、私たちには納得できない部分があるのは仕方ないのだろうと。ところが亀山郁夫さんの新訳で久しぶりに読んで気付いたのは、悪魔的とされていた次男のイワン・カラマーゾフが、普通の人だということ。信仰はなく、欲の心を持っているけれど、罪悪感も倫理観もある。現代人から見たらまったく違和感のない人物なんです。そこで彼を視点人物にして、続編を書いてみようと考えました」
物語は、カラマーゾフ家の父殺し事件から十三年後、イワンが特別捜査官となって故郷に帰るところから始まる。彼と、本作オリジナルキャラクターの心理学者・トロヤノフスキーが探偵役となり、事件の真相に迫っていく。
「『兄弟』には、ミステリー的な矛盾や疑問点がいくつもあります。たとえば、背後から撲殺された被害者がなぜ仰向けに倒れたのか。でも、世界的文豪に対して今まで誰もつっこみはしなかった。ならば私が”王さまは裸だ!”と叫ぶ子どもの役割を果たそうと」
数々の矛盾点は「第二部」への伏線だったと著者は主張する。
「『罪と罰』ではミステリーとして完璧な描写をしたドストエフスキーなので、単なるミスのはずがない。あるいは読者への挑戦状だったのかもしれず、我々がそれを受け取ることこそが原典に対するリスペクトでもあると思います」
本作の序文には〈今こそ書かれるべき小説〉とも記されている。
「ドストエフスキーは百年以上前に既に、現代の犯罪心理学と同等のことを考えていたのでしょう。我々は彼にやっと追いついたんです」
本作のすごさの一つは、『兄弟』を未読でも十二分に楽しめること。それどころか、読み進めるうちに『兄弟』への知識が深まる。さらに原典もたどってみたくなる。
「ドストエフスキーの作品の多くは、大衆向けの新聞小説。哲学的で難解という先入観をなくして、たくさんの方に気楽に接してほしい。そんな気持ちもあります。文豪と崇め奉られ、貴重な骨董品みたいに扱われているけれど、ドストエフスキーだって我々と同じように生きた人。賭博して借金作って、そのカタに小説を書いたりしていたんですから(笑)」
謎解きに興奮し、人間の心理の奥深さに揺さぶられる。これぞ上質のミステリーだ。主人公アリョーシャの真の姿と運命を知る場面では、大きな衝撃を受けるだろう。文豪の遺産から生まれた素晴らしき現代エンターテインメント。それを享受できる我々は幸せだ。
(日販発行:月刊「新刊展望」2012年10月号より)
今月の作品
- カラマーゾフの妹
- 『カラマーゾフの兄弟』で描かれた不可解な父殺しから13年。有名すぎる未解決事件に、特別捜査官が挑む…。歴史的未解決事件の謎が今ここに解かれる。興奮度超級のミステリ。江戸川乱歩賞受賞作。