2013年 5月号
谷村志穂さん 『空しか、見えない』
数々の小説作品で女性の愛や性を濃密に綴ってきた。
「自分の中の女性≠ニ、この十年くらいは夢中になって向き合ってきました。でも、その時期は終わったのかも(笑)。今回は青春≠ナす。そんな作家の青春小説、読みたかないよって言われるの、むしろ楽しみ」
『空しか、見えない』は、そんなわけで谷村志穂さんの新境地ともいえる一作。素材として選んだのは「遠泳」。臨海学校での「ひと夏の経験」だ。
「飛行機に乗ったとき機内誌をめくっていたら、鹿児島・錦江湾で遠泳する小学生の記事を見つけたんです。海に向かって歩く子どもたちの写真があって、背格好はでこぼこ、不安そうな子もいれば胸を張っている子もいる。みんなが広い海へと泳ぎ出す、そのドキュメントを読んで心を動かされました。この子たちにとって遠泳の経験が深い思い出になるところまでは想像ができたけれど、それ以上にこの記憶は後にそれぞれの中にどのように残っていくのか。それを書きたいと思ったんです」
主人公・佐千子は繊維業界紙の記者、25歳。新聞記者を志していたものの大手新聞社への就職はかなわず、希望と現実のギャップに悶々とする日々を送る。ある日の深夜、友人の千夏からかかってきた電話は、中学高校の同級生・義朝の死を知らせるものだった。彼は千葉の岩井海岸で事故に遭ったのだという。そこは中学三年の夏、臨海学校で遠泳をした忘れ得ぬ場所。佐千子、義朝、千夏、のぞむ、純一、環、マリカ、芙佐絵の8人はバディを組んだメンバーなのだ。義朝を偲んで岩井に集まった彼らは、次の夏、再び遠泳に挑むことを約束する。
「遠泳は、自分や仲間を信じる気持ちがなければできないもの。仲間と力を合わせることで自分が持っている以上の力が出て、泳ぎ切れる。そんな経験を持つ主人公たちを、私も書きながらうらやましく感じていました」
15歳の夏を共有し、固い絆で結ばれた仲間。けれど10年の歳月が流れれば、それぞれの人生の方向は否応なく分かれていく。暮らす場所も仕事も、恋や人間関係も。メモリアル遠泳の実現の前には、さまざまな大人の事情≠ェ立ちはだかる。果たして佐千子たちは揃って岩井の海に泳ぎ出すことができるのか─。
『アクアリウムの鯨』『シュークリアの海』『静寂の子(文庫版は『冷えた月』に改題)』ほか、谷村さんはこれまでも折々に「泳ぐ人」を書いてきた。海に泳ぎ出すことは、心身を解放する一方、恐怖に打ち克つ勇気もまた試されるもの─そんな思いが、遠泳という日本的な伝統を通じて青春小説を描くことにつながった。
南房総・岩井海岸は、実際に多くの学校が臨海学校に訪れる地である。
「遠浅で深い青が広がる海。本当に素敵な場所です。この土地を見つけられて、幸運でした」
ラストシーンの心地よさは格別。読めばきっと、昔の仲間に会いたくなる。
(日販発行:月刊「新刊展望」2013年5月号より)
今月の作品
- 空しか、見えない
- 15歳の夏、臨海学校で一緒に遠泳をした8人組のバディ、“おしゃもじハッチ”。おしゃもじは、海を泳ぐための命札だった。10年経ったいま、突然その輪が一つ欠けてしまったことをきっかけに再会し、再び泳ぎだす。