2011年 9月号
『風さん、高木さんの痛快ヨーロッパ紀行』
二人の巨匠と、編集珍道中
「風さん、いっしょに外国、ヨーロッパへ行かないかね」
とさそうと、風のごとく、こだまのように声がかえってきた。
「ああ、行くよ」
「忍法帖」の山田風太郎、「神津恭介」の高木彬光のヨーロッパ珍道中はこんな会話から始まりました。一九六四年当時二人の巨匠が敢行した一か月の旅行の費用は、お一人約六十九万円。大卒サラリーマンの平均初任給のなんと三十四倍程! 誘う方も誘う方だし、それをまた即OKとは新米編集者の私には驚くばかりです。お二人の仲の良さ、当時の人気作家の懐具合からすれば、それ程ではなかったのでしょうが……。
本書は一九六六年に発表されベストセラーとなった高木先生の「ヨーロッパ飛びある記」復刊に加え、山田先生の門外不出の日記を初公開するという異色のもので、読者の皆様もきっと驚かれるのではと思っています。
ただ、編集過程で問題となったのが目玉の山田先生手書きの日記。どう日記と睨めっこしても単語が解読できず、文章として読むことができないのです。
構成の山前譲先生を始め、高木先生のご令嬢の晶子様や山田先生夫人啓子様など、縁の深い方々の力を借りて解読、ようやく文章となった筈でしたが校了近くまで謎が解けなかったものが「二十日味噌汁」という謎のキーワード。
前後の文章で意味が通らず、当時このような味噌汁を飲まれていたのか、このまま載せるべきか頭を悩ませていました。
とそこへ「二十日」は「余はこれは」と読むのだという連絡が。そう。崩し字を一つの単語として読んでしまっていたのです。どの部分でこの文章が出てくるか詳しくは本文をお読みいただいてのお楽しみといたしましょう。
お二人の珍道中同様、右往左往し編集された本書ではお二人のエッセイと日記を二重に楽しめるよう日時を追って本文の上段を高木先生、下段を山田先生とし、また初公開の当時の写真・直筆イラスト・資料など目で見ても楽しめるものとなっています。
四十五年前のソビエト、ヨーロッパの風景だけでなく文章から伝わる人気作家の勢いを感じることのできる一冊となったのではないかと思います。
(日販発行:月刊「新刊展望」2011年9月号より)