2012年 4月号
窪 美澄さん 『晴天の迷いクジラ』
昨年、デビュー作である『ふがいない僕は空を見た』で第二十四回山本周五郎賞を受賞。第八回本屋大賞第二位にも選ばれるなど、一躍脚光を浴びた窪美澄さん。
二作目となる『晴天の迷いクジラ』は、〈生きづらさ〉を抱える、育った環境も年齢も違う男女三人が、ふとしたきっかけで共に旅する過程を描く、ロードムービー的な作品だ。
小さなデザイン会社に勤める二十四歳の由人は、失恋の痛手と、昼夜を問わず仕事に明け暮れる毎日に疲れ果て、心身のバランスを崩していく。その会社の社長である野乃花は、五十歳を前にして苦労を重ねて育ててきた会社が倒産し、生きていく気力を失ってしまう。そんな野乃花を、由人は自らも死の影に囚われていたにもかかわらず、クジラが入り江に迷い込んだという遠く離れた南の半島に、半ば強引に誘い出す。その旅の途中で二人は、過干渉で神経質な母親に育てられ、鬱屈した感情を抱いている正子という女子高生に出会う。クジラの元へとたどり着いた三人は、このままでは命すら危ういというクジラを見守る日々の中、その姿に何を思うのか─。
「(死の一歩手前まで踏み出してしまった)三人が見に行くなら、生きている、大きいもの」という発想からクジラをイメージしたというが、「取材をしたクジラの専門家の方が、クジラが日本のさまざまな場所に漂着するのは、(海で生きていけないことを悟って死期を待つ)自殺という意味もある、とある媒体でおっしゃっていて。それなら生きづらさを感じて一度は死のうとした三人と、自殺の意味もある漂着はリンクするのではないかと物語が動き始めました」。
「生きづらさというのは、生まれた場所と時代、育った家や環境によって大きく左右されると思っています。例えば正子の母親も、彼女なりの理由があって、良かれと思ってしていることなのに、正子にとってそれは愛情ではなかった ということ。相手を思ってやっていることでも、すれ違ってしまうことは親子に限らずあるでしょうし、そういう不幸は世の中にたくさんあるような気がするんです」
一章ごとにそれぞれの現在と過去が厚みを持って描き出され、各人が生きてきた時代の様相と、愛情の「さじ加減」の難しさが見事に浮かび上がる。特に「人生の種って、思春期にありますよね。あの頃感じていたつらさやしんどさはいまも私の中にある」と語る著者が掬い上げる「あの頃の痛み」は、決して過去のものとしてではなく、誰の胸にも強く迫るはずだ。
「しんどさを感じている人間の気持ちがほんの少し軽くなる、前向きになるところを書いていきたい」という窪さん。現在は初の週刊誌連載に挑戦中だ。「ぶつかり稽古みたいな感じで書いていますが(笑)、いただいたチャンスには精一杯応えたい」。堂々たる二作の長編をものした作家が次なるステージでどのような飛躍を見せるのか。そんな期待も十分の快作だ。
(日販発行:月刊「新刊展望」2012年4月号より)
今月の作品
- 晴天の迷いクジラ
- 心療内科の薬が手放せない青年、倒産しそうなデザイン会社の孤独な女社長、親の過干渉に苦しむ引きこもり少女。壊れかけた3人がようやく見つけたものは…。人生の転機に何度も読み返したくなる、感涙の物語。