2012年 1月
放蕩記
「半自伝的小説」と銘打たれた村山由佳さんの最新作『放蕩記』。物語は、38歳の小説家・夏帆が、一緒に暮らす年下の恋人を伴って夏帆の実家を訪れるところから始まる。大好きだったはずなのに、いつしか厭わしくてならない存在になってしまった母。その厳しく絶対的な母の呪縛から逃れるように、夏帆は放蕩を重ねてきた。しかし、年老いた母にはある兆しが見え始める─。
こじれた感情を解きほぐすかのように、次々と立ち現れる母との記憶。身を切るような主人公の述懐は、そのまま読む者の痛みとなって胸に迫る。「半自伝的とはいえ、普遍性を持つ一つの小説として作り上げたいと思ったときに、個人的な記憶と自分自身の折り合いをどう付けるか、それをいかに虚構に落とし込むか。その距離のとり方が難しかったですね」
「特殊を描いて普遍に至るのが文学」。作中で語られるこの言葉こそ著者が常に目指してきた高みなのだと、自らを材にとった本作ではなおさら強く読み取れる。
「特殊なことを噛み砕いて書くのではなく、その極限状態に置かれた人間がどのような反応を示し、感情を持つのか。そういった一つ一つを一行も飛ばさずに書くことが、小説を普遍にまで到達させる唯一の方法なのかなと。そこに嘘がなければ読んでいる人もきっとそれを追体験してくれるし、自分の中の記憶をまさぐってくれるのではないかと思うんです」
「自分にとって痛いことを書けば書くだけ、作品がよくなることがわかるんです。これは向き合うのにしんどすぎると先送りにしないで、膿は出そうと。それを人の目に触れて見ごたえのある膿にする、その作業がしんどければしんどいだけ、きちんと料理さえすれば深みを増すだろうとわかる。どこかで嬉々としてそれをやっている自分がいて、辛いばかりではないんです。骨の髄まで物書きなのだと今回特に思いました」
「女として生まれてくる女の子はいないわけで、みんな女になっていく。それを誰から学ぶかというと、たいていは一番身近な同性、特に母だと思うんです」。小説家である娘がその母に犯した「一番大きな罪」という本作だが、「きっと世の中にお母さんを愛せない娘はたくさんいると思います。一部であってもあの部分だけは赦せない、あの一言だけは赦せないとか。そういう人が読んで、自分だけではないんだなと思ってくれたらいいですね」。
自分の「根っこ」に関わることだからこそ厄介な家族、特に同性の親への思い。そして時に持て余してしまいそうになる「自分」という存在。そんな人間の「生」と「性」に果敢に切り込んだ作品群は、その切っ先の鋭さでいっそ清々しい浄化をもたらす。「一作書くごとに見える景色が変わっていく。そんな自分自身の変化がエキサイティングでおもしろい」という村山さん。次にどんな地平を見せてくれるのか、ますます目が離せなくなる充実作だ。
(日販発行:月刊「新刊展望」2012年1月号より)
今月の作品
- 放蕩記
- どうして私は、母を愛せないのだろう。「母」という名の恐怖。「躾」という名の呪縛。逃れようともがいた放蕩の果てに向き合う、家族の歴史、母親の真実。女とは、血のつながりとは…。衝撃の半自伝的小説。