[BOOKデータベースより]
何ゆえに、自由律を選んだ人たちが現れたのか?俳句とは何か―俳句に関わるものは、五七五定型、季語、切れ字の効用に凭れかかることなく、考え続けなくてはいけない。自由律俳人たちの懸命な足跡はその意味を教えてくれるのである。資料収集に基づく考証でたどる近代俳句史。
序にかえて 時代の生む魅力―中塚一碧楼の自由律句
第1章 自由律俳句について(総合誌『俳句人』と敗戦に直面した自由律俳人たち;松尾敦之『原爆句抄』など;『自由律』の創刊と生活の自然詩 ほか)
第2章 自由律俳句の諸相(中塚一碧楼の句評と俳句;荻原井泉水の句評―草田男・虚子との違い;尾崎放哉と種田山頭火の短律句 ほか)
第3章 詩人の俳句(英文学者詩人・佐藤清の俳句;国民詩人・北原白秋と自由律俳句;鷲巣繁男―流謫の詩 ほか)
付録・荻原井泉水著書目録抄
伝統と呼ばれる「俳句」という形式はどういうものなのか。
五七五の定型は果たして疑う余地のないものなのか。
何ゆえ、定型から逸脱する自由律を選んだ人たちが現れたのか。
本書は自由律俳句と詩人たちの俳句に焦点をあて、知られざる近代俳句史をあきらかにする。どのような作品が生み出され、それらの作品はいかに受け止められたか。俳人・詩人たちは形式をめぐりいかなる論争を繰り広げ、彼らによって生み出された雑誌・書物などのメディアとはどのようなものだったのか。
蒐集された膨大な資料群を読みほどき、多数の俳句作品を紹介しながら考証する。
巻末には自由律の俳人・荻原井泉水の著作目録を付録として収録する。
【今回の本を書き上げ感ずるのは、俳句における五七五という定型の持つ力である。おそらく自由律俳人たちも、その事は認識していたのである。俳句という文学行為は「俳句とは何か」と問い続けるもので、その正解のない解答を得るために、個々が様々な試行を繰り返す必要がある。その問いへの模索が大正末から昭和十年代初期までと、終戦直後の文芸復興期に燃え上がった。その中に自由律俳人たちもいたのである。俳句に関わる者は、五七五定型、季語、切れ字の効用に凭れかかることなく、考え続けなくてはいけない。自由律俳人たちの懸命な足跡はその意味を教えてくれるのである。】…「序にかえて」より
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